恋人は天使







「はい。こちら人類幸福計画救済委員会です」

市丸は受話器を持ったまま固まった。

そしてややあって意識を取り戻すと、「すみません、かけ間違いました」と問答無用に電源ボタンを押す。

かけ間違いにしてもとんだところにかけたものだ。

市丸は首を捻りながら発信履歴を見てみる。

しかしそこに表示された番号は確かに自分が受け取ったメモと同じ番号。

いやいやいや、あの美人がそんな詐欺をする訳がない。

市丸は気を取り直してもう一度、慎重に番号を確認しながら発信ボタンを押した。

「はい。こちら人類幸福計画救済委員会です。市丸ギン様ですよね?」

「う……」

市丸は受話器を持ったまま固まる。

かけ間違いなんかじゃない。

しかも相手は市丸の名前を出して確認までしてきた。

れはもう決定。

市丸は昨晩、飲み屋で出会った金髪碧眼の天使のような美人に詐欺にあったことを認めた。

「チクショォォォォオオオオオっ!!!!」

悲恋の叫びを上げた市丸に、受話器の向こうの声は何か続きを喋っていたが、それは聞き取れなかった。





************





昨晩、市丸は299人目の恋人と別れた酒を行きつけの酒場で飲んでいた。

市丸ギン、大手投資銀行に勤める彼はハッキリ言って順風満帆の人生というものを送っている……かのように見える。

某有名大学を卒業と同時に現在の会社に勤め、あっと言う間に責任ある立場に就いた。

地位も金も権力も手に入れた男は、更に顔と体格も良かった。

おかげで女に不自由したことはなく、次から次へと(時には一人と付き合っている間に二人、三人と)女が言い寄ってきて、片端から試してみてはどれもしっくりいかないと放り捨てる。

そんな生活は学生の時から現在まで途切れることなく続き、別段来る者拒まずな訳ではなかったのだが、299人という有り得ないような数の女と、仮にも”恋人”と言う関係を結んできた。

しかし市丸には悩みがあった。

299人もの女性を経験してきてさえ、理想の相手と巡り会えないでいるのである。

理想が高いと言ってしまえばそれまだでだが、だてにモテるが故に妥協が利かない。

しかもこれという確固とした理想像があるならまだしも、『何となく合わない』を理由に、長くて2週間、短ければ2、3時間で別れを切り出してきたのである。

もうこうなっては一生独り身で通してやろうかと思えば、世界のどこかにピタッと当てはまる理想の相手がいるのじゃないかと思えて仕方ない。

虚しい酒に溺れて酔いに憂さを晴らそうとしていた時だった。

「お隣良いかしら?」

金髪碧眼に超ド級の巨乳と言う神が与えたもうた人類の宝、女神が光臨した。

紫のシルクワンピースに大粒のパールを付けただけの簡素な装いも、この豊潤で華美な肢体の前では最高にゴージャスな飾りになる。

「どうぞとうぞ」

喜んだ市丸は思わず酒を奢ってしまう。

果たして女は酒豪だったが、そんなことくらい、眩しい谷間の前には何の問題もなかった。

「一人酒なの?」

女は奢り酒を遠慮なく飲みながら市丸に話しかける。

「別れ酒や。さっき彼女と別れてきたところやねん」

何気にフリーですというアピールを盛り込ませた市丸に、女はにやりと口角を上げる。

「悲しいお酒……の割には楽しそうよ?」

「んー、そらこない別嬪さんが隣に座ったら、誰かて上機嫌になってしまうよ」

女は「あら、嬉しい」と口先だけで笑った。

「ボク、彼女運にツイてへんのや」

「へぇ?」

それとなく女に打診を兼ねて話しをすると、マティーニを一気飲みして「理想が高いんじゃない」と言う。

「んー理想は確かに高い思うねんけど、こう……別に外見がどうのやなくて、全部好きになられへん言うか、何というか。ぴったりこぉへんのよ」

「我が侭なだけじゃない」

「それ言うたらおしまいやわ」

手厳しいなぁ。

市丸もトム・コリンズに口を付けて苦笑う。

美人の辛口は強い酒のようなもので、喉を通り過ぎれば灼けつくような熱さと共に、心地よい酔いを運んでくれる。市丸は細長いグラスの中のレモンを囓って、女の嫌味を流した。

「紹介してあげましょうか?」

女は席を立ちながら艶やかなダークチェリー色の爪で、細身のベロアバックを摘み上げる。

金色の口を開け中から破いた紙を取り出し、店のボールペンで数字を書くと机に置いて去っていった。

そんな訳で市丸は期待していたのである。

新しい恋人の予感に。

しかし結果はこの凄いかけ間違い(番号的にはかけ間違っていないのだが)。

手ひどい詐欺だと項垂れた市丸はしかし、次の瞬間度肝を拭かれて床の上に仰向けに倒れた。

電灯が凄い勢いでバチバチと点滅すると、急に蛍光灯が爆発するんじゃないかという光量を放ち、光の輪となって市丸に迫ってきたのである。

「今晩は」

光は喋った。

市丸は勿論答えられない。

いや、答えたくないと言った方が正しかったかも知れない。

何せこんな非常識は予想外なのだから。

しかし光の輪はそれにめげる様子はなく、市丸の目の前でぴくとぴく生き物のように動いてみせると、再び喋った。

「あの、僕の声聞こえていますか?」

「聞こえへん」

市丸は耳を塞いで横を向く。

取り敢えず超常現象の類と付き合う気はなかった。

不審人物に声をかけられたら目を合わさずに走って逃げること、それが人物でなくて光の輪であったとしても。

市丸の信条は硬い。

しかし光の輪はしつこく市丸の前に留まり、「あれ、おかしいな」と蠢いている。

「ああ、すいません。視覚変換器が作動していませんでした」

そう言うと光の輪は市丸の前からいったん離れて、電灯の下でゆっくりと人型へと姿を変えた。

光の中に金髪碧眼が浮かび上がる。

「ん?」

市丸は予想していた昨晩の女とは違うが、もう少し薄い同じ色を持つ青年の姿に釘付けになった。

「今晩は」

光が納まると金髪碧眼の青年はぺこりと市丸に頭を下げる。

フローリングの床の上、靴を履いているのが気になったが、市丸はともかく人型の超常現象に挨拶を返した。

「今晩は」

光の輪と話す趣味はないが、人型に挨拶されると人としてつい挨拶を返さずにはいられない。

「初めまして、僕、人類幸福計画救済委員会から派遣されて参りました。吉良イヅルと申します」

イヅルと名乗った青年は再び頭を下げる。

礼儀正しい性格ではあるようだ。

靴は文化圏の違いと言うことで大目に見ておこう。

市丸は立ち上がると自分よりも背の低いイヅルに取り敢えず質問した。

「今君、どこから来た?」

イヅルはにこにこと微笑みを浮かべたまま、電灯を指さす。

「電灯からです」

「いやいやいや、電灯から人は来られへんな?」

確認口調の市丸に、イヅルは「はい」と良い子の返事。

「だから僕は人間じゃありません。天使です」

「あいたー」

市丸は頭を押さえた。

「ええ!?どうされたんですか?」

身体を二つ折りに頭を抱え込んだ市丸に、イヅルは慌てて駆け寄る。

「自分、天然ボケ系キャラなんか。顔と身体はええのに」

「は?」

イヅルは首を傾げたが、市丸に説明する気はなかった。

まず人類幸福計画救済委員会という妖しい肩書きもそうだが、自分は天使ですと名乗る青年は痛かった。

いやもう痛すぎて思わず頭を押さえてしまうくらい。

市丸は合理主義の現実主義者だ。

この事態を科学的に論ずることは出来ずとも、天使だ悪魔だと自分で名乗る生き物を、はいそうですかと受け入れることはできない。

その上、昨晩の金髪碧眼巨乳美人とまではいかないにしても、今まで市丸が出会ったことのないタイプの美人の到来にちょっと心ときめかせていたところだったのである。

それがこんなコリン星では話しにならない。

心配そうに覗き込んでくるイヅルを制した市丸は、「大丈夫やから、ともかく君、もう遅いし帰り」と言ってみる。

しかしイヅルは案の定、「いえ、そう言う訳には」と断った。

「僕は貴方の依頼を受けてここに来たんです。貴方を幸せにして差し上げないと、帰ることは出来ません」

「あー幸せ幸せ。僕今めっちゃ幸せやから、帰ってええよ」

「ええ!?いえ、あのでも、昨晩ツイてないって、えと、姉さんがその」

「ん?」

市丸は”姉さん”の言葉に顔を上げる。

「姉さんて君、君より濃いめの金髪碧眼でごっつい巨乳の美人さんか?」

「え?……あーはい。そうです」

「あああああああ」

市丸は再び頭を抱え込む。

「姉さんて君、彼女も天使やなんて言うんやあらへんやろな」

「え、天使ですよ?だって兄弟ですもん」

市丸は本気かい、とイヅルを見つめる。

きょとんとしたイヅルは全く嘘を吐いているようには見えない。

市丸はものは試しに自分の中のルールを破ってみた。

不審人物にお願いをしてみたのである。

「ほな羽根見せて」

今日は残念ながら市丸は酒を飲んでいなかった。

素面で見る夢は蜃気楼と妄想だけにして欲しい。

しかしそのどちらも否定したくなるような出来事が起こった。

「はい」

微笑んだイヅルの背から、白い羽根がふわりと拡がって現れたのである。

―――――っ!!!」

さすがの市丸も今度ばかりは信じずには居られない。

横に周り込んでみても、天使は羽根をひらひらと振ってみせたくらいで張りぼての可能性は薄かった。

「天使……」

呟いた市丸に、イヅルは嬉しそうに返事をする。

「はい」

そうして夜はバッタリと市丸を呑み込んで倒れた。













****************












「おはよう御座います、市丸さん」

天使が市丸を覗き込んで、無邪気に朝の挨拶をした。

「…………おはよう」

市丸は半笑いで返事して己の状態を確認する。

そこは市丸の部屋のベットの中、パジャマに着替えて眠っていた。

天使はベットの端に腰掛けた状態で市丸を覗き込んでいる。

出で立ちは昨晩と変わらないが羽根はない。

靴は履いたまま。

天使、もといイヅルは市丸に笑いかけた。

「昨晩はいきなり倒れてしまわれて、本当にビックリしました。眠っている間に治療しておきましたが、お体の調子は如何ですか?」

言われた市丸は自分の身体を振り返ってみる。

倒れたという割に打撲箇所は見当たらないし、痛む箇所もない。

それどころか万年病と化していた肩こりが無くなって、胃元もスッキリした感じで調子がいい。

むしろ倒れる以前よりも軽くなった身体に、「ん、平気」と答えると、イヅルは嬉しそうにまた笑った。

「良かった。朝ご飯も作ってみたんです。良かったら食べて下さいね」

市丸は確信していた。

これは『ああ女神様オチだ』と。

これはあれなのだ、天使が自分にお願いを訊きに来て、一つだけ叶えてあげましょうと言う例のアレだ。

そして『ボクの恋人になって下さい』で漏れなくハッピーエンドを約束されるあれなのだっ!!!と。

案の定、起き上がってダイニングに行った市丸は、見事な朝食が並んだ食卓に感動を覚えた。

厚焼き卵に大根おろしとなめこの和え物、鮭の焼いたのに葱と揚げの味噌汁、冷や奴に漬け物に白ご飯は見事、市丸の好みを付いた和食膳。

「良かったら、どうぞ」

椅子を示したイヅルに、腰を落ち着けた市丸はやっと笑って全てを受け入れた。

「ありがとう、吉良君。えーと天使君?」

「あ、はい、イヅルで良いですよ。市丸さん」

イヅルは市丸の向かいに腰を下ろすと、にこにこと優しい笑顔を浮かべている。

「ほなイヅル、いただきます」

「どうぞ」

手を合わせて箸を取った市丸は、さて、と本題に顔を上げた。

「イヅルは何でボクとこに来たン?」

「あ、はい。そうです。昨夜はお話ししそびれて……、遅くなって申し訳ありません」

頭を下げたイヅルは、にこっ、と笑うと市丸に一本指を指しだす。

ああ、やっぱりね、と市丸は既に願いを心に決めていた。

「僕は市丸さんの救済の為にやってきました」

ブーンと小さな機械音が響き、市丸の前にホログラフィックのような画像が浮かび上がる。

そこには『人類幸福計画救済委員会』の文字。

なかなかに芸が細かい。

イヅルは立てた指で映像を操作しながら言った。

「僕達天使が今回新しく立ち上げたプロジェクトなのですが、人間の中に現在の環境に満足していない人が多過ぎるんですよね」

「ふんふん」

「それでどのような環境下に置けば、人間は満足して幸せと思ってくれるのかの統計を取ろうという企画なんです」

「うんうん」

「そして市丸さんがその第一番目の被験者に選ばれた訳なのですが」

「うんうんうん」

早くお願い叶えますと言え、と市丸は米つきバッタのように頷いた。

「是非協力して頂きたいんです……その、幸福モデルにですね、なって頂きたいのです」

「うんうん。ええよ。それで?」

「はい。それでまず市丸さんがどのような状況下に幸福を感じるかを測定させて頂いた結果、色々矛盾点も含まれておりまして、それで直接お話を聞こうとここに参上させて頂いた訳です」

「うんうん。つまりボクの幸せが何か知りたいンやな?」

「?……いいえ」

「へ?」

イヅルはにこにこと手前の映像を弄っている。

それが再びブーンという機械音を奏でると、いくつかの数字が流れるように画面を走った。

「貴方の幸せを固定させて頂きます。幸せと感じるものを一つ、きっちり定めてしまいたいのです」

「はあ?」

やはりうまい話には裏があるのだろうか。

落胆した市丸は「ボクの願い叶えてくれるっちゅー企画やないんかい」と嘆く。

「そんな、個人の願いを天使が叶えていたら、世界が混乱してしまいますよ」

イヅルはとんでもないと首を振った。

一気に興醒めした市丸である。

「じゃーなにー?ボクが必ずめっちゃ幸せって思うものを一つ作るっちゅうことか」

「はい」

イヅルはにこにこと画面を操作している。

「市丸さんの好きなこと、何が良いですか?それをしている、または感じている間は至福を味わえるんです。因みに今、市丸さんが好きなことの中から一つ選ぶという形ですよ。新たに追加は出来ません」

「んー」

それくらいは選ばせてくれるらしい天使に、市丸はフル回転で脳を働かせていた。

自分が好きなことを振り返ってみる。

一番好きなことは何だろう。

かと言って何もない朝のダラダラした時間を過ごすこととかだったら頂けない。

そんな事で一生分の幸せを感じ続けるのはアホラシイ。

考えに考え抜いた市丸は、はた、と気付いて顔を上げた。

「決めた」

市丸の言葉にイヅルが「何ですか?」と微笑む。

にやりと口角を上げた市丸は言った。

「めっちゃ可愛い子を恋人にすること」

イヅルの眉が下がる。

「可愛いの範囲が限定されないと難しいですよ」

「金髪碧眼で天使の羽が生えてる子がええ」

市丸の言葉にイヅルは焦った。

「そんなの、これから一生出会えないじゃないですか。それにもし叶えられなかったら至福を感じることは出来ない訳で、実験も失敗でデータも取れないし」

「それ以外は嫌や」

「そんなぁ」

イヅルは眉を寄せて悲しそうに困っている。

しかしここで引いてしまっては安い幸せで終わってしまう市丸も、必死であった。

何せ天使とお近づきになれたのである。

ああ女神様計画を一度は夢見たこのチャンスを、逃す訳には行かなかった。

「どうする?」

意地悪く笑う市丸に、イヅルは「他は駄目なんですよね」と沈む。

すると二人の間に浮かび上がっていた映像に奇怪な記号が現れた。

「エエエエッ!?」

突然イヅルが叫び声を上げる。

市丸はしてやったりと笑った。

この展開ならアレで間違い無しだ。

「そんなぁ」

イヅルはホログラフを色々触っていたが、それはブーンという音を立てて突然消えた。

「なんて?」

市丸の問いにイヅルは半泣き状態で「僕、ここに留まることになりました」と言う。

してやったり。

市丸は手に入れた金髪碧眼で天使の羽根を持った可愛い恋人に手を差し出す。

「ほなこれからよろしくな、イヅル」

ショック状態のイヅルはされるがままに手を繋がれ、ぶんぶんと振られて瞳を潤ませた。

「聴いてないよ姉さ〜ん」

市丸はふと昨晩の女の言葉を思い出す。

彼女は市丸に『紹介してあげましょうか』と言ったのだ。

これはどうやら天使の救済ならぬ、女神のお導きだったらしい。

「神様仏様巨乳様やね」

生涯の幸せを約束された男は笑ったが、天使は強気にこう言った。

「でも僕、市丸さんの恋人になるなんて言ってませんからっ!!!」

うわーんっ!!!

天使の泣き声が木霊するマンションで、人類史上最高至福男が誕生することは多分遠くない。



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ギャグですよ。笑って許して下さいね(苦笑)