一生懸命頑張る背中








気付いたら紺色のベットで眠っていた。

とても落ち着く匂いがして、意識は戻ったけれど、再び目を閉じて深呼吸する。

―――ああ、市丸さんの匂いだ。

その時、ふと温かい手が髪を梳く感触がして、くすぐったいのと気持ちいいのとで、イヅルは思わず目を開いた。

濃くて深い、透明な赤い瞳が覗き込んでいるのに気付いて、思わず微笑みかける。

大好きな色。

大好きな人。

すぐ側に市丸の体温を感じて、イヅルは嬉しい吐息で頬を染めた。

「気ィ付いたか?」

しかし市丸の声音が低くて、イヅルは一気に記憶を取り戻し、「あ」と声を上げる。

「僕……っ」

思わず身を起こそうとした肩をベットに縫い止められて、顔から血の気が引いていく。

「まだ起きたらアカン。まだ熱あるんや。ホンマ無茶してからに」

呆れたような声音に、イヅルはぎゅっと目を瞑って耐えた。

そのままシーツを引き上げ、顔を覆ってしまう。

肩が震えた。

「ごめんなさいっ」

悲鳴のように謝って、小さく小さく縮こまる。

「ごめんなさい、僕、呆れたでしょう? 迷惑かけて、ごめんなさい。本当にごめんなさ……」

その先は喉がつかえて言えなかった。

もう嫌になっちゃいましたか?

もう僕は要らないですか?

酷い醜態を晒して、市丸に多大な迷惑を掛けた。

思い出しただけで背筋が震える。

シーツに隠れて震えるイヅルに、市丸は手を伸ばした。

「あほぅ」

―――え? 笑ってる?

予想しなかった笑みを含んだ物言いに、イヅルは少しだけ顔を覗かせる。

「迷惑やないよ。迷惑やない。そうやないやろ? イヅル」

市丸の顔はすぐ目の前だった。

思わず怯んで、再びシーツに埋もれようとしたイヅルは、市丸の手に阻まれた。

「何でイヅルは何も言わんの? 風邪引いた言うたら、ボクに迷惑掛かる思たんか?」

市丸の声は優しい。

優し過ぎて、また涙が零れそうだった。

「なぁ、イヅル。ボクはお前の何や? 恋人ちゃうんか? そないボクは信じらへんのか?」

「っ……そんなことっ」

慌てて口を開いたイヅルは、しかし穏やかな市丸の手で続きを制される。

「やってそうやろ? 今日、事務所に藍染はんが来はったんよ。偶然イヅルと逢うた言うて、顔色悪ぅてしんどそうやった言われた時、ボクがどんな思いしたか分かるか? 朝、何で気ィついてやれへんかったんやろ思て、慌てて帰ってきたら、イヅル部屋掃除してるやん。顔赤ぉて、熱あるのん一目で分かったわ。そやのに風呂も、飯も、シャツまでアイロン掛けて、何やっとんの? イヅルはボクの家政婦さんか何かやと思っとんの?」

「……っ」

違います、と言おうとして、けれど喉から出たのは詰まった息だけだった。

市丸の腕がイヅルの小さな頭を抱えて、そのまま隣に横になった胸に抱き込む。

「イヅルはいっつもボクに頑張っとる背中しか見せへん。それがイヅルやって分かっとるけど、こんな時くらい頼ってくれな、ボクは何の為におるんや」

―――僕は馬鹿だ。

市丸の胸で、イヅルは温かい涙を流した。

胸につかえていたわだかまりや意地が、はらはらと頬を伝っていく。

「イヅルんことはボクが守るて決めたぁる。もっと頼り。ボクはお前より随分大人やねんから」

「でも」

イヅルはあっという間に溶かされてしまった胸中の凍氷を、そのまま口に上らせた。

「市丸さんは嫌じゃないんですか? 僕は子供で、馬鹿で、市丸さんに頼りっぱなしで。我侭ばっかり言ってるし、泣いてばかりいるし、ちっとも魅力ないし、市丸さんに守って貰う資格なんて、好きになって貰える所なんて、一つも思いつかない」

イヅルの言葉を最後まで聴くと、市丸は驚いたように目を見開いた。

「市丸さん?」

心配になって訊くと、市丸は額に手を当てて大仰に溜息を吐く。

「……呆れるわ、ホンマ。イヅルは何にも分かってへん」

そしてイヅルに向き直ると、いきなり鼻を摘んだ。

「う゛」

変な声を出すイヅルに、呆れ顔がそのまま悪戯小僧のように歪んだ市丸が苦く言った。

「イヅルはホンマにボクのこと何にも信じとらんかったんやな」

「……っ」

鼻を押さえて涙目で見つめるイヅルは、怯えた犬のように市丸の様子を窺っている。

「ええか? よお聴き、僕はイヅルが……」

しかしそこで市丸は語るのを辞めた。

代わりにイヅルの両頬を挟んで、至近距離で見つめてくる。

「言葉だけやアカンねんな、イヅルは。もうええ。イヅルが悪いんやから、責任取って貰うわ」

そして言うが早いか、唇がイヅルのそれに重なった。

「!?」

イヅルは驚いて、そのまま固まってしまう。

温かい唇が自分の唇に重なっているのは分かったが、この湿った感触は何だろう?

麻痺した思考が、機能停止した身体では正しい判断が下せない。

するといったん離れた唇が、口角を下げて諫めた。

「口、開け」

「〜〜〜っ!?」

理解した途端、イヅルは真っ赤になる。

あれだけ自分から誘ったくせに、今更ひどく焦っている自分がいる。

恥ずかしさに目も合わせられないまま、イヅルは言われたとおり、小さく唇を開いた。

「っ……」

再び重なる唇。

今度はぬるりと舌が口内に入ってくる。

初めて感じる他人の浸食に、イヅルは身体を強張らせて、背筋を這い上がる妙な感覚に耐えた。

市丸の手が、パジャマの上からイヅルの肌を這う。

くすぐったいような、重く痺れるような、初めての感覚に意識が翻弄される。

今すぐ腕を振り解いて逃げてしまいたいような、もっと深く捕まってしまいたいような、矛盾した気持ち。

「んぅっ……ん」

突然高い音が鼻に抜けて、イヅルは初めて出した自分の声に驚いてびくつく。

「あ……」

思わず目を開くと、濃くて深い、透明な瞳が今までで一番近くでイヅルを見つめている。

ドキッと大きく震えた心臓に、酸欠気味の脳は白く霞んでいく。

「ふぅっ……ぅん」

恥ずかしい声が漏れて、どんどん身体が火照っていくのが分かる。

どれくらいそうして口吻ていたのか。

ようやく解放された口で、必死で酸素を追うと、駆け足した後のように息が乱れた。

「っ……はぁ」

息を吐くイヅルの前で、市丸は愉しそうにそれを眺めている。

「どうやった?」

笑いを含む問いかけに、イヅルは耳まで真っ赤になりながら答えた。

「凄かった……です」















「ほい、お粥さん。レトルトやけど」

「あ、いえ。あの、ありがとうございます」

イヅルは市丸に差し出された小振りの土鍋を乗せたトレーを受け取って、ぎこちなく笑った。

何年ぶりだろう、市丸さんにご飯を作ってもらうのは。

市丸の部屋で、市丸に作って貰ったお粥を、市丸の隣で食べる。

その幸福にイヅルは先ほどから雲の上にいるような心地だ。

「美味い?」

無邪気に訊ねる市丸に、イヅルは「はい」とはにかみ笑いを返す。

「イヅルは可愛えなぁ」

呟きに、耳まで赤くして、イヅルはもそもそと粥を食べた。

「そう言えばな、イヅル」

「はい」

ベットに頬杖を付いていた市丸は、イヅルの隣に座り直した。

「今日、藍染はんがうちの事務所来て言うてはったんやけど、イヅルにもお見合い来て欲し言うてはるねんけど、今度の土曜、都合付くか?」

「え?」

思わずイヅルは口に運び掛けたレンゲを戻し、目を見開く。

「藍染はんから聞いたんやんな? 見合いの話し」

「え、あ、え? あの、お見合いするのは藍染さんなんですか?」

「そうやで。他に誰がおるん?」

不思議そうに訪ねる市丸に、イヅルは驚きを隠せないまま、つい口走った。

「市丸さんとか」

「はぁ!?」

立ち上がった市丸が、呆れて物も言えないという顔でイヅルを見やる。

「そうか、分かったわ。お前、僕がイヅルん内緒で見合いする思てあんな無茶しとったんやな」

―――しまった!

後悔先に立たず。

イヅルは青くなって仁王立ちする市丸を見上げた。

その顔が不敵に笑う。

「ご、ごめ」

んなさい、までイヅルは言えなかった。

市丸にベットに沈められ、強引に唇を奪われる。

さっきより随分と乱暴な口付けに、イヅルは呼気を奪われて激しくむせた。

市丸はげほげほ咳をしているイヅルの膝から粥を机に退けると、

「イヅルがそない分からん子ぉやとは知らんかった。もう正攻法はしまいや。法廷荒らしの異名を持つ市丸さんの本領、いやっちゅうほど教えたるっ!!」

いきなり項に歯を立てられた。

「覚悟しぃや? 言うとくけどもう逃がさへんで」

耳元で囁かれる脅しに、イヅルはドキドキと高鳴るばかりの心臓を掴んで、「はぃ」と答えた。









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あーあ、市丸さんがキレた(笑)