判別できるのは君だから
「―――と言う訳だったんだ」
イヅルは弁当を広げながら、恋次に先日の風邪の顛末を話した。
「はぁ、じゃあ、取り敢えず今は上手くいってんだな」
恋次は気乗りない返事だが、修兵に気に掛けるよう言われているので一応話の内容は分かっているらしい。
「で、結局最後までやったのか?」
無遠慮な問いかけに、イヅルは顔を赤くしながら首を振る。
「最後までは……してないんだけど」
「何だ。お預けか」
「……て言うか、気を失ったと言うか」
「はぁ?」
結局、風邪で寝込んだ日、市丸はイヅルに口吻と触れるだけの愛撫を与えただけで、最後まではしなかった。
それと言うのも風邪で弱っていた所為もあるイヅルが、緊張のし過ぎで意識を飛ばしてしまったからだ。
イヅルとしては待ちに待った瞬間でもあった訳で、まさかの失態に深く落胆したのだが、あれ以来、市丸は何かというとイヅルに触れるようになったので、気持ちを疑う隙はなくなった。
今はとても幸福である。
「まぁ、お前が幸せなら良いんだろうけどよ」
「そうだね。幸せは幸せだよ」
気に掛かることがない訳ではなかったが。
そう思ったことが顔に出たのか、恋次が顔を覗き込んできた。
「なに?」
「お前、ちょっと綺麗になったか?」
「は?」
「いや、ほら、恋する女は綺麗になるとか言うじゃねぇか」
「阿散井君、いっぺん死んできたら?」
取り敢えずいつものイヅルらしい。
恋次はホッとしたような顔になると、にやりとイヅルの尻を叩いて笑った。
「ま、その内メンタムでもプレゼントしてやるよ」
「嬉しくないよ」
「何だよ、必要になるだろ?」
「表現がいちいち卑猥なんだよ。阿散井君は。そんな物より、ちょっと付き合って欲しい所があるんだけど」
イヅルが本題を切り出したので、恋次は再び座り直す。
「今度の土曜日、料亭まで付いてきて」
「はぁ? 料亭?」
「そうだよ。僕の奢りだから!」
しかし土曜日当日、恋次は付いてきた事を既に後悔し始めていた。
「吉良ぁ、お前、奢りっつったって此処はさぁ」
都市の喧噪からはやや離れた緑多い一郭に、その老舗料亭はあった。
しかし問題なのは自分達が今いる場所である。
恋次は何杯目かの缶コーヒーを啜って、寒空の下、遠目に料亭の中を見つめるイヅルに意見する。
「腹減ったんですけど、吉良さん」
「後で駅前のレストランで何か食べさせてあげるから、ちょっと待って」
結局、イヅルは藍染と市丸の誘いを蹴って、恋次と二人、外からお見合い現場を盗み見ることにした。
それと言うのも、市丸が見繕ったらしいお見合い相手の娘の世話を焼く彼を見たくなかったのと、これ以上、嫉妬深い自分を見せたくなかったからだ。
けれど流石に市丸が用意したらしいその料亭は敷居が高く、一見さんはお断りという徹底した高級料亭である。
お陰でこっそり別部屋を用意して聞き耳を、と言う訳にも行かず、恋次と二人、寒風に吹かれるという事態になったのだ。
「てか、こんなとこからじゃ、中、全然見えねぇだろ?」
「うーん」
確かに、恋次の言うとおり、美しく剪定された庭でさえ外からは覗けない。
濃い生け垣を睨み付けて、イヅルは諦めの溜息を吐いた。
「駄目だ。全然見えないや」
「いい加減、諦めようぜ」
「そうだね。何だか僕もお腹減ってきた」
そして駅前まで二人、何の手土産もなく撤収してきたのである。
イヅルは自分用に頼んだオープンサンドをパク付きながら眉を寄せる。
恋次はステーキセットにナイフを入れながら、呆れ顔で溜息を吐いた。
「何だよ。そんなに気になるなら一緒に行けば良かっただろ。誘われてたんじゃねぇのかよ?」
「だって、市丸さんが女の子をエスコートしてる所なんて、見たくなかったんだもん」
恋心は複雑だ。
まさか自分がこんなに嫉妬深い質だなんて、今の今まで知らなかった。
「しかし相手の女ってどんな奴なんだろうな。そのお前の保護者の恩人ってのは結構な歳なんだろう?」
「うん。結構可愛い娘だったよ。歳は僕らとそう変わらない感じに見えた」
「じゃあ結構な歳の差じゃねぇか」
「そうだね」
それでも可愛い娘だったと言えば、阿散井君は呆れるだろうか。
イヅルは小さく溜息を吐いた。
「大体、何処で知り合ったのかが問題なんだよ」
「何だ、訊いてねぇのか?」
「うん。タイミング逃しちゃって。それにいちいちそんなことにまで嫉妬してるって思われたくないし」
ランチセットに付いてきたオレンジジュースのストローをいじりながら、イヅルは口をへの字に曲げる。
「あーあ、僕も浮気の一つくらい出来る甲斐性、持った方が良いのかなぁ」
溜息混じり、考えなしに呟いた言葉が終わる直前、いきなり目を塞がれて、イヅルは驚きに身体を跳ねさせた。
「ええ、度胸やな。出来るもんならしてみぃ。手錠買ぉて来て閉じこめたんで」
「え、え? い、市丸さん?」
耳元で、聞き覚えのある京訛りが囁いて、イヅルは焦って目許の両手を引き剥がす。
振り返ると、キレ気味の笑顔の市丸と、以前に見たことのある市丸の友人が立っていた。
「お久しぶりぃ〜吉良君。浮気はもっとバレないようにしなきゃ駄目よ?」
ナイスな爆裂バディを地味目のスーツに包んで、彼女は微笑んだ。
「あ、えと?」
「松本乱菊よ。十年くらい前に一度会ったことあるんだけど、流石に覚えてないかぁ」
「あ、いえ。すみません。名前までは。でもお顔は覚えてます」
「あら、さすが優秀だって市丸が自慢する記憶力ね。将来有望?」
問いかけは市丸へ、イヅルは羽交い締めにされたまま身動きできずに困り顔を向ける。
「別にイヅルに仕事手伝ぅて貰おうとか思てへんよ。それより乱ちゃん、ちょおこの後任してもてええか?」
「なに、トンヅラする気?」
「悪い子ぉにはお仕置きせな、クセなったら困るしな。初めが肝心言うやろ?」
イヅルは赤くなったり青くなったり忙しい。
一人取り残された恋次は、イヅルに救済の眼差しを向けられたことで、喧噪の輪に追加された。
「なぁ、君。イヅルとはえらい仲良ぅしてるみたいやけど、ただの友達やろな?」
「は、あ、はい。ただの同級生です」
逃げ腰の恋次に、イヅルは非難の眼差しを向ける。
しかしそんなことは知った事じゃない。
「しかも恋人いるんで、睨まないで下さい」
「ほぉか。ああ、もしかして最近恋人出来て、イヅル焚き付けた友達て君か」
「は、焚き付け? いえ、はぁ、まぁ、付き合い始めたのは最近ですけど」
「あんましうちのイヅルに惚気んといてくれる? この子ヤキモチ激しぃてかなわへんねん」
「はぁ、すんません」
恋次が頭を下げた所で、乱菊がおかしそうに笑いながら間に入った。
「アンタも焼きがまわったわね。取り敢えず移動しましょ。トンヅラは許さないわよ」
そして市丸、イヅル、恋次は乱菊に促されるまま店を出た。
一旦、先ほどの料亭に戻るらしい。
未だ市丸に羽交い締めのイヅルは、歩きにくそうに、それでも幸せそうに歩いている。
その後ろを少し離れて歩きながら、恋次は先ほどから疑問に思っていることを呟いた。
「てか何で俺等の居場所がバレたんだ?」
すると地獄耳らしい市丸がニヤリと振り返り、
「んなもん、イヅルがおる場所は何処でも分かるんや」
聞こえよがしに言い放ち、せやから浮気してもすぅぐバレるで、とイヅルに言い諭す。
「ええ!? 本当ですか?」
イヅルは真に受けたらしく、市丸を尊敬の眼差しで見上げる。
「そうや。イヅルやったら何処におっても分かる。いつぞやの晩もちゃんと助けに行ったやろ?」
判別できるのは君だから。
そう言われた気がして、イヅルは場所も人目も構わずに、思わず市丸に抱きついた。
恋次は目の前でイチャ付くバカップルに辟易しながら、「マジかよ」と頭を掻いた。
「そんな訳ないでしょ」
隣を向けば、乱菊の目も平べったい。
「どんなカラクリっすか?」
声を潜めて訊ねると、乱菊は携帯を取りだして指さした。
「GPS」
「ああ、子供の防犯の奴っすか」
「まさか。海外要人用のやつよ」
そう言えば吉良の携帯に日本語表記は無かった気がする……。
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何だか急にギャグ路線に……あれ?