光に心奪われて
料亭に着くと、お見合い中の二人は庭を散歩中とのことだった。
控え室として別に取っていたらしい高級そうな部屋に通されて、イヅルと恋次は居心地悪そうに座っている。
市丸と乱菊は店側の人間と何やら話しをしていたが、二人を振り返って言った。
「どうする? お腹空いてるんだったら何か頼むけど?」
二人はぶんぶんと思い切りよく首を振る。
こんな高そうな所で、食事をと言われても、ちょっと気安く返事なんて出来ない。
「ほな、何か甘いモン適当に見繕って貰おか」
市丸が纏めて、店の人間は丁寧に会釈すると、静かに部屋を出ていった。
そこでイヅルは腹の異変に気付いた。
―――い、痛い気がする。
腹に手を当てると、ゴロゴロ言ってる振動が伝わってくる。
「あ、あの」
こんな時に恥ずかしがっていても始まらない。
イヅルは市丸にトイレの行き方を聴いて、足早に部屋を出た。
一息吐いて、トイレから出たイヅルはしかし、途方に暮れる。
―――どの部屋だっけ?
慌てて部屋を出てきてしまった為に、帰る方向は何となく覚えていても、部屋が分からなくなってしまった。
よくあるオチだが、解決策となるはずの店員の姿も、物音も、何もなくて、イヅルは取り敢えずゆっくりと端まで歩いてみた。
どの部屋の襖も、美しい日本画が描かれて、似たような雰囲気だ。
しかしこんな所で声を上げるのは気が引けて、イヅルは廊下の端まで来ると、振り返りつつ、思案に耽った。
―――どうしよう。
困り果てて目線を上げると、どん詰まりに良い趣の外履きが揃えで置いてあるのに気付く。
そこから庭に出られるようになっているらしく、漆喰の壁から日の差す方に顔出すと、美しく整えられた庭が見えた。
「わぁ」
思わず感嘆の声が漏れる。
まるで写真の風景だ。
奥の方には特別室だろうか、枯山水も見える。
イヅルは外に出てみたい欲求に駆られて、つい外履きに足を通す。
濃い緑に苔生した石。
まるで何処か、謂われのある庭園のようだ。
散歩用の小径を見付け、そろりと足を踏み入れると、小さく人の話す声が聞こえた。
ビックリして思わず固まっていると、一人は藍染の声だった。
「―――それは素敵だね」
「ええ、そうなんです。私、どうしても適えたい夢があって」
もう一人の女性の声はお見合い相手だろう。
イヅルは邪魔しては悪いと思い、音を立てないよう元来た道を向いた。
「両親も、早く子供が見たいって、そう言っているんです」
「そうだろうね。やはり僕のような年まで所帯を持たない男でも、子供は欲しいと思ったりするよ。やはり自分の血を残したいと思うのは、男の本能なんだろうか」
二人の楽しそうな笑い声が響いて、けれどイヅルは思わず目を伏せた。
こんな時、痛感するのだ。
自分は、男なのだ、と。
市丸に恋していると自覚した時、イヅルは同時に失恋した気持ちになった。
これは叶わない恋だと、同時に自覚したのだ。
告げるつもりもない恋に、ハッピーエンドなんてある訳がないと諦めていた。
それがひょんな事から告白してしまい、思いがけず恋人になれた。
けれど、ずっと胸の奥でわだかまっている思い。
市丸は本当に、自分で良いと思っているのだろうか。
―――僕は男だ。
市丸さんの子供は、どんなに望んでも産んであげられない。
結婚だって出来ない。
社会的にも認めて貰えない関係は、世間体だって悪かろう。
何度も何度も、市丸に恋人が出来たら、潔く諦めようと言い聞かせてきた。
けれど市丸はいつも恋人はいないと言うので、イヅルは密かに忍ばせた恋心を消さずに済んできたのだ。
それでも女性の影がちらつく度、ひどく胸が痛んで、今にも掻き消えそうな希望に不安を募らせてきた。
今回だって、イヅルは十分に怯えている。
乱菊の存在。
市丸の知り合いらしい、藍染の見合い相手の女性。
彼女達がもしイヅルの敵に回ったら、応戦する術はない。
ただ白旗を揚げて、市丸の幸せを遠くから祈る他ないだろう。
市丸はイヅルに、ボクの気持ちが信じられないのかと怒ってくれた。
凄く嬉しかった。
けれど、今はそうでも、これから先は?
十年、二十年後には、……いや、もしかしたら数日後には、市丸好みの女性が現れて、イヅルはあっさり捨てられてしまう事だってあるのだ。
―――女性には勝てない。
ここにどうして来たくなかったのか、イヅルは気付いて、自分の弱さに唇を噛んだ。
好きで好きで仕方なくて、捨てられたくない気持ちが、どこまでも弱さとなって跳ね返ってくる。
どんなに完璧に家事をこなしたって、自分には出来ないことが多過ぎだ。
そおっと、イヅルは入り口に戻った。
廊下を見ると、丁度乱菊が襖を開けてくれたので、イヅルはやっと部屋に戻ることが出来た。
「何処行ってたの?」
乱菊の問いかけに、イヅルは「トイレですけど」と首を傾げる。
「吉良君があんまり遅いって、ギンが探しに行ったんだけど、トイレにいないって、阿散井君連れて探しに行っちゃったわよ」
「え?」
イヅルは慌てて腰を浮かしたが、乱菊がそれを制した。
「すれ違いになるわよ。いいから、此処で待ってなさい。お茶、あるわよ」
「……はぃ」
イヅルが素直にお茶を受け取ると、乱菊はふふふ、と笑って向き直る。
「あたし丁度吉良君と二人で話ししてみたかったのよね」
「え?」
バッチリと目線の合ったイヅルは、思わず俯いて頬を染めた。
「ギンがね、凄く良い子だって褒めちぎるから、どんな子なのかとずっと思ってたんだけど、あいつ、全然紹介しようとしないのよ。いっぺん家に寄った時、ちょっと会っただけなのに、あいつ、あたしの事追い出したのよ。覚えてる?」
「はぃ」
イヅルは小さく苦笑いする。
乱菊は、ふぅ、と大きく溜息を吐くと、「なるほど」と一人納得した。
「何ですか?」
「分かったのよ。どうしてギンがあんたを気に入ったのか」
「え?」
イヅルは思わず身を乗り出して、乱菊を見つめた。
「あの、どうしてですか?」
必死の形相で訊ねるイヅルに、乱菊はちょっと面食らったようだが、すぐに気を取り直したのか、笑って言った。
「可愛いからよ」
「え……」
イヅルは言葉を失った。
「あんた可愛いわぁ。ギンの気持ちがよく分かる。ギンが大好きで大好きで堪らないって顔してるくせに、自分に自信が無くて、あいつの後を三歩下がって付いてくる感じ。大人しくて、素直で、従順で、謙虚? 大和撫子ってあんたみいたなのを言うんでしょうね」
乱菊が笑う。
イヅルは何と答えて良いものか分からなくて、困惑に眉を寄せた。
「ギンのこと好き?」
乱菊が訊く。
「はい」
イヅルが答えると、彼女の手が伸びて、よしよしと頭を撫でられた。
「馬鹿な男だけど、ちゃんと幸せにして貰いなさい。吉良君に関してだけは、きちんと責任取るつもりらしいから」
「でも」
イヅルは思わず涙目になって、乱菊に胸内を吐露した。
「僕は男です。市丸さんを幸せにはしてあげられません」
俯くと、ぽろりと零れた涙が、膝の上に落ちた。
その頭を、乱菊が再び優しく撫でる。
柔らかい手だった。
記憶に残る、母の手のように感じて、イヅルは余計に涙が止められなくなった。
「でもギンは、吉良君を手放すつもりなんてないそうよ?」
「……っ」
息を詰めるイヅルに、乱菊は優しく微笑んでいる。
「この間電話でね、雛森は私の親戚なんだけど、今回の見合い話しに乗じて、ギンにも身を固めたらどうなのって言ったのよ」
イヅルはまだ俯いている。
「そしたらあいつ、ちゃんと責任取るって言ったのよ。吉良君と、ギンは添い遂げるつもりらしいわよ」
「じゃあ」
イヅルは思わず顔を上げた。
「もしかして、この間の昼間の電話」
「あれ? 一緒にいたの?」
「偶々、学校を早退していて、聞くつもり無かったんですけど、聞こえて。でも僕、あれは他の人ととの事だって、勝手に、思って、て……っ」
安心したら、涙腺が決壊した。
後から後から零れて、止めようと思っても止まらない。
市丸の気持ちを疑ってばかりいる自分が、恥ずかしくて仕方なかった。
彼は一度もイヅルを裏切ったことなどなかったのに。
いつだって真摯に想ってくれていた。
自分が信じられなかった所為で、ずっと遠回りしていただけで。
市丸さんに謝らなくちゃ。
イヅルは顔を上げると、「僕ちょっとそこまで市丸さん、見てきます」と立ち上がった。
襖を開けると、市丸と藍染の声が聞こえる。
庭の方だ。
イヅルはさっき外に出た戸口から庭に出ると、立ち話をする二人に近づいた。
市丸がこちらを振り向く。
その顔が驚きに染まって、こちらに駆けてくる。
イヅルは泣いた顔で笑いながら、銀髪が反射する光に心奪われて―――。
「なにイヅル? 何で泣いてんの?」
心配する市丸に抱き締められて、イヅルは一言だけ言葉を紡いだ。
「大好きです、市丸さん」
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よーし。戻ってきた(独り言)