「一緒にカラオケ行かない?」
駅前で、突然肩を叩かれたイヅルはビックリして振り向いた。
私服の高校生らしい男が三人、気付いたらイヅルを取り囲んでいた。
「あ、いえ……」
一瞬気後れして返答に迷うと、気のせいか肩に乗ったままだった男の手に力が込められた。
「たかってる訳じゃないから、心配すんなよ。ワリカン、ワリカン」
笑顔が妙に薄気味悪くて、イヅルは鳥肌が立ったが、そこは平静を装って再度断りを口にする。
すると二人はあっさりと引いてくれたのだが、イヅルの肩を掴んだままの男は妙に馴れ馴れしく更に言い募ってきた。
「名前訊いていい? どこの学校? ハーフ?」
イヅルはその場から逃げだしたかったが、如何せん、男の手は肩を移動してイヅルの腕を掴んでいる。
「あの、僕これから帰るところなので」
「家どこ? 良いじゃん、まだ電車あるよ」
「いえ、あの……」
男はイヅルの腕を放そうとしない、それどころか、正面に回り込んだ反対の腕はイヅルの腰に回ろうとしている。
こんなんだったら恋次に遠慮せず、一緒に帰ってくるんだったとイヅルは後悔したが、後の祭りだ。
「彼女いる? もしかして彼氏いたりする?」
いい加減、イヅルも男がナンパに掛かっているのに気付いて、逃げようと藻掻いたが、腕の力は意外に強くて逃げられない。
「逃げなくて良いじゃん。話しようよ」
男の様相が少し怒気を含み、イヅルは怯えて腕を突っぱねたまま俯いた。
その肩を反対側に勢いよく引かれて、イヅルは誰かの身体に背中から体当たりしてしまった。
「ガキはとっとと帰って寝ぇ!!!」
頭上で怒声が響いて、見上げれば見慣れた銀髪が覗く。
「い……市丸さん?」
驚いて声を掛ければ、赤い眼が怒りを顕わにイヅルを見下ろした。
「こんな所で何してんのや。いつからこない夜遊びする子ぉになったんやイヅル」
「……っ」
市丸の気迫に、イヅルは言葉を紡げず縮こまった。
その腕を痛いくらいの力で掴まれ、市丸の愛車の助手席に放り込まれる。
そして何も言わずに走り出した車の中で、イヅルはただ青くなって震えていた。
車はまっすぐマンションに向かった。
駐車場に車を止めると、市丸は何も言わずに降り、イヅルも慌てて後に続く。
部屋までのエレベーターは気が遠くなるほど遅かった。
部屋に着くと、市丸はリビングの大きなソファにどかっと腰を下ろし、イヅルはその向かいのカーペットの上で正座する。
腕組みの怒り顔が肩で息を吐いた。
「で、何であんな所におったんや?」
「あの……学校の、卒業した先輩のご友人がお店を開かれて、その記念パーティに呼ばれて、ちょっと顔見せだけのつもりで」
「あの時間にか?」
「はい。あの、クラブなんです。だから夜にしか開いてなくて」
「そんな所に高校生が出入りしてええと思ってるんか?」
「いいえ、すみません」
イヅルが俯いてしまうので、市丸も黙る。
「ごめんなさい」
再度謝ってきた声は涙声だった。
市丸は重い溜息を吐いて、だらしなくソファを背中でずり落ちる。
「今回はボクがすぐに助けられたからええけど、お前、あんな時間に駅前でうろうろしとったらホンマに危ないんやで?」
「ごめんなさい」
イヅルは俯いて涙を拭っている。
市丸は身を起こすと、机に片肘をついて髪を掻き回した。
「イヅル、お前ボクに何か言いたい事あるんやろ?」
イヅルは驚いて顔を上げた。
泣いた所為で目許が赤い。
「最近様子おかしい思ってたんやけど、忙しぃてちゃんと話できんかったんは、ボクも悪いて分かってる」
市丸は机を脇へ除けて、イヅルと向かい合うと、頭を撫でて顔を覗き込んだ。
「言ぅてみ? 何があったんや? イヅルは訳もなしに夜遊びなんやする子ぉやないやろ?」
イヅルの大きな青い眼から涙が零れる。
ポロポロと止めどなく溢れる涙に、市丸はバツが悪くて胸に抱き込んだ。
「誰かに苛められたんか? それとも受験で疲れたんか? 怒らへんからちゃんと言ぅてごらん」
市丸の優しい声に、イヅルは胸から迫り上がってくる言葉に死にそうになっていた。
耳鳴りのように、言ってはいけないと理性が叫ぶ。
同時に息も出来ないほど言葉は胸を、頭を、耳を、視界でさえ埋めていく。
唇が戦慄いた。
「……きです」
「ん?」
一言漏れたら、止められるわけもなかった。
「好きです。好きなんです。市丸さんが好きなんです。ごめんなさい。ごめんなさい」
後はもう馬鹿みたいに繰り返して泣いた。
イヅルはしゃくり上げて、市丸の胸の中で「好きです」と何度も何度も繰り返して泣いた。
市丸は呆然とイヅルの頭を抱いていた。
「イヅル?」
市丸が無意識に呼ぶ。
イヅルはぴたりと言葉を止めて、まるで断罪を聴く死刑囚のように震えた。
その肩を引き剥がし、市丸がイヅルの顔を覗き込む。
潤む瞳に揺れる市丸の顔は困惑に染まっていた。
片眉が下がって、気のせいか白磁の頬は少し赤い。
「イヅル、その好きて、ボクと恋人になりたいてことか?」
引き返すなら最後のチャンスだったのかも知れない。
それでも踏みとどまれる方法なんかイヅルは知らない。
再び溢れた涙に、引きつる喉で言葉を紡いだ。
「そうです。会った時から、ずっと、ずっと、僕は市丸さんの事が好きだったんです」
ごめんなさいと続くはずの言葉は、市丸の胸で掻き消えた。
痛いほどに抱き締められて、市丸の鼓動を聴く。
とても速い。
「あかん」
耳元で喋る市丸の吐息に、イヅルは震えた。
「イヅルが18になったら、ちゃんと僕の方からプロポーズするつもりやったのに」
イヅルは目を見開く。
市丸の鼓動はとても速い。
抱き締める身体はとても熱い。
「フェイントやわ。まだ指輪も買ぉてへん」
「市丸さん?」
イヅルの呼びかけに、やっと市丸は腕の力を緩めた。
「イヅル、ホンマにボクのこと好き?」
「はい。市丸さんの事が好きです」
「ホンマに?」
「はい」
「ほんなら僕のもんになってくれる?」
「はい」
再び捕らわれた腕の中、吐息のような市丸の言葉に、イヅルは背に手を回して力一杯抱きついた。
「好きや」
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続きます。。。