いつかはきっと・・・
「報告があるんだ」
ある日の朝、登校したイヅルはいきなり恋次に腕を掴まれ、学校の屋上まで引っ張られた。
「いい加減離してよっ。何なんだよ、阿散井君」
イヅルと恋次のコンパスの差は結構ある。
恋次に大股でずんずん歩かれると、イヅルは半ば引きずられて腕が痛い。
屋上に着くと同時に、イヅルは力一杯恋次の腕を振り払った。
む、とした表情で恋次を見上げると、崩れた顔が目に入る。
「あ……阿散井君?」
変な汗を掻きながら、イヅルは恋次に呼びかけた。
その肩を物凄い力で掴まれる。
「吉良っ!!」
「ひっ」
思わず息を呑むと、恋次がイヅルに顔を寄せた。
「俺、檜佐木先輩と付き合うことになったから」
「へ……え?」
「昨日の晩、さっそく先輩を頂いてきたっ!!」
恋次は言い終わると、ガッツポーズで地上に向かって、いやっほーいっと叫んでいる。
「うっそ……」
イヅルは思わずその場にしゃがみ込んだ。
まさか、まさか恋次に先を越されるなんてっ!!!
思わずコンクリのタイルを叩いて、小指の骨がじんじん肘まで響く。
「うっ……」
涙目になったイヅルは、キッと恋次を振り返った。
「阿散井くんっ!!」
「何だ?」
驚いて振り返った恋次は、キレた表情のイヅルにびびる。
イヅルはゆらりと立ち上がると、びしっと人差し指を恋次に向けて宣言した。
「僕だって今月中に、必ず市丸さんとHしてやるっ!!!」
僕達だって、いつかはきっと―――。
宣言した手前、イヅルは学校から帰るとすぐ、するべき家事と課題を仕上げ、別の勉強に取りかかった。
ごそごそと通学鞄の底から取り出したのは、級友(あんまり喋ったことがない)から無理矢理借りてきたエロビデオである。
有志達の間で密かにこの手の道具が回っていることは知っていた。
しかしまさか自分が手にする日が来ようとはっ!!
「これも全部市丸さんのためっ!!」
一人、胸熱く愛を叫んで、イヅルはいざビデオデッキにAVを突っ込んだ。
『新妻のいけない午後』は、哀愁漂う古き良き昭和の団地妻が、化粧品のセールスに訪れる男と秘密の関係を持つというベタな物だった。
AV独特のチープな設定とストーリー展開を見守り続ける内、ややあってエロシーンに突入したが、全く萌えない。
女優の顔は幼妻設定に見合った可愛い系だが、身体は巨乳とアンバランスで妙に食指が動かない。
その上、口汚い言葉責めにむしろイヅルは萎えていた。
そうしてアンアン言っているシーンが終わると、ふとある重大なことに気付いてイヅルは青くなる。
全く勃たなかったのである。
「…………っ、ウソ……僕、もしかして不感症? 感度悪い? それとも真性ホ」
言いかけた言葉は慌てて飲んだ。
よく考えてみれば、8歳の時からの片思いである。
市丸が男であるとか言う問題は、余りに幼かった為に全く頭になかった。
段々と成長するに連れて、己の立場の弱さを思い知ったイヅルだが、市丸への想いは変わらず、しかしそれも市丸だからこそと思ってきたのだ。
お陰で全く女の子には縁がなかった。
告白されたことは何度かあったが、一考の余地もなく「好きな人がいるから」と断ってきた。
今日の今日まで、例え付き合いであっても、エロ本やエロビデオの類でさえ拒絶してきたイヅルである。
―――まさか、もしかして市丸さん相手にしか僕、勃たないなんてこと……。
市丸のことは好きだ。
恋人にして貰えて、物凄く嬉しい。
今までも、今も、これからも、例え一人であってもイヅルの慰めは決まって市丸である。
けれどそれがもし他人事ならどうだろうか。
十年も、子供の頃から一人の男を想い続けてきた男。
しかもその男相手にしか勃ちもしない。
お陰でズリネタも決まってその男だけを想って慰めている。
「―――気持ち悪いかも」
その上男としての尊厳は皆無だ。
そっと、ズボンの前に触れてみるが、おとなしいままの其処は萎えたまま。
これがAVだけなら良いが、もし市丸といざHとなった時、反応しなかったらどうしよう。
イヅルはデッキから取り出したビデオを、中身の透けない袋に入れると、慎重に鞄の底に隠した。
いつものように、市丸は九時過ぎに帰宅した。
そして先日から許可して貰った一緒の布団で寝る為に、イヅルはパジャマで市丸の部屋を訪れた。
「市丸さん、あの、今日も、その、疲れてますか?」
市丸はイヅルに背を向けるように横になっている。
だからイヅルはいつも彼の背ばかり見て眠る。
「……何や? 急に」
市丸が振り向かないまま答えた。
「あの、僕、その、…………やっぱり市丸さんと、その、ちゃんとしたいんです」
イヅルの顔は赤いと言うより青かった。
昼間のショックを引きずっているのだろう。
しかし市丸はやはり振り返らずに、少し身動ぎしただけで溜息と共に拒絶した。
「アカン言うてるやろ」
「でもっ」
イヅルは食い下がった。
「でも、僕の学校の友達だって、昨日恋人出来たって……え、エッチしたって、言ってました。確かに僕は受験生で、もうすぐ受験で、市丸さんが言うみたいにそんな事してる場合じゃないのは分かってるんですけど、でもちょっとくらいならしたって」
「アカン」
市丸は強く言うと、イヅルを振り返った。
その顔が酷く険しい。
イヅルは思わず目を伏せて縮こまった。
「聞き分けない餓鬼は一人で寝ぇ。僕は疲れてるんや。ごねるんやったら出ていき」
「っ……」
市丸は言うだけ言うと、またイヅルに背を向けて丸くなってしまった。
イヅルは「ごめんなさい」と言うと、不機嫌そうな市丸の布団をそっと抜け出す。
そして音が鳴らないようにドアを閉めると、そのまま廊下に崩れて声もなく泣いた。
市丸を怒らせるつもりはなかったのだが、自分が恥ずかしくて、惨めで仕方なかった。
強く望めば、市丸だって絶対嫌とは言わないはずと、心の何処かで思っていたのかも知れない。
もしかしたらウザイ奴だと、嫌になったと思われたかも知れない。
何で上手くいかないのか分からなくて、市丸の気持ちも分からなくて、イヅルはただ泣いた。
好きでいてくれればそれだけで良いなんて嘘だ。
触れてもくれない恋人なんて、そんなのは欺瞞だ。
―――受験なんて、本当にそんな理由なんだろうか。
イヅルは希望に燃えていたはずの午前中の幸せを思い出して、また、声を殺して泣いた。
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私、イヅル泣かせるの好きだな……(苦笑)