雁字搦め





イヅルは壁に凭れ、先程から降り出した雨が硝子を伝うのを見つめていた。

吐く息が白い。

屋敷は静まりかえり、憂鬱な時だけが針色の空間を彩っている。

―――――ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに。

何度目かの細い溜息を吐いて、冷たい指先を握り込む。

もうすぐイヅルの18の誕生日だ。

吸血族の貴族であるイヅルにとって、18の誕生日は今までの誕生日とは意味が異なる。

吸血族の貴族は、18歳になると強制的に種族保持の為と言う理由で結婚を強制される。

しかも好き合っての結婚ではなく、より強い力を持った種族の誕生を願う王家の者が選んだ、然るべき相手と。

つまりは政略結婚。

しかしイヅルが憂うのはそれだけではない。

立場ある者の政略結婚など世に有り触れた話しではあるが、おいそれと肯けぬのは相手が、男であろうと、女であろうと、年端のいかぬ子供であろうと、老い先短い老人であろうと委細構わず能力だけを基準に選抜されるからだ。

もちろんイヅルの相手も、既に王家からの指令書で決定したとの報告が来ている。

しかし古来からの習わしにより、当日までは分からない。

男か、女か、子供か、老人か、どちらにせよそこに愛情は一欠片もなく、あるのは憂鬱な結婚生活だけ。

逃げ出してしまいたい欲求に駆られながら、イヅルは唇を噛んで必死で身体を抑えつけた。

これは吸血族の貴族として、生まれ育った者の逃れられぬ宿命なのだ。

そしてそれは、亡き両親の望む所でもあった。

屋敷の時計が一斉に鐘を打ち鳴らし、真夜中の到来を告げる。

午前零時。

とうとうイヅルの18の誕生日が来た。

眼下を走ってくる黒い馬車に、イヅルは心を決めて執事を呼んだ。







**************************








「いらっしやいませ。お待ちしておりました」

執事は雨の中走ってきた馬車に駆け寄り、ポーチまでのほんの短い距離ではあったが、賓客を濡らさぬよう傘をさし広げた。

「おおきに」

黒い馬車から降りてきたのは銀髪に長身の男で、痩躯を折って傘に納まると、

「はぁ〜こらでかいお屋敷やなぁ」

雨の降りしきる庭で、上を仰いで呟いた。

「どうぞ、お待ちしておりました。生憎の雨ですが、足元にお気を付け下さいませ」

「ん。おおきに」

緩やかな訛りで喋る男は、案内された玄関ホールで再び「広っ」と感嘆する。

「主がお待ちです。どちぞこちらへ」

執事の案内で、男は奥の部屋へと通されながら、回りの装飾を物珍しげに見つめた。

「これは主さんの趣味なん?」

「いえ、先代様よりずっと以前の吉良家の御当主が、このお屋敷を建てられて以来、ずっとある物ばかりで御座います」

「はぁ、なるほど、年代物な訳やね」

吉良家は代々続く吸血族の家系だ。

人と違い、寿命という物が存在しない種族なだけに、その歴代となると人間の比ではないだろう。

男は感心盛りに頷きながら、目的の部屋まで歩いた。

「こちらでございます」

言葉と共に、執事がドアをノックすると、「どうぞ」と言う澄んだ声。

「どうぞお入り下さい」

お辞儀で促された室内に踏み込むと、先程までの肌寒さが嘘のように、明々とした暖炉が部屋を暖めていた。

「お待ちしておりました」

奥の大きな窓を背にするように、イヅルは立ち上がって客を迎える。

「初めまして。この屋敷の当主、イヅルと申します」

見惚れるほどの美しさでお辞儀をしたイヅルに、男はぽかんと口を開けて立ったままだ。

「あの?」

金髪が揺れて定位置に戻り、今度は少し傾いて小首を傾げる。

「あ、いや、すんまへん。市丸ギンです。君がボクの相手……なんやろか?」

「ええ。僕が市丸さんのお相手を務める事になっております」

―――――不躾な人だな。

イヅルは微かに眉を顰める。

長身痩躯、目立つ銀髪に細い目。

立っている空気からも伝わる、隙一つ無いスマートな立ち姿。

見た目も悪くない男は、きっと相手がイヅルではなく、可愛い女の子であれば似合いの夫婦となっただろう。

自嘲を隠すように俯いたイヅルは、「どうぞお掛け下さい」と向かいのソファを指した。

「どうも」

腰を下ろした市丸は、執事の運んできたお茶に早速口を付けながら、イヅルをまじまじと見つめる。

「ほんまに君がボクの相手なん?」

「ええそうです。ご不満な点は多々あると思いますが、僕も貴方も、相手を選ぶ事は許されておりません。一年間は、僕で我慢して頂くことになります」

吸血族の結婚、特に貴族と人間との結婚は一年という単位で区切られる。

これは人間を吸血族の正式な仲間として迎え入れる為の必要な時間であり、また吸血族として人が変わる為に必要な時間でもある。

この一年という時間の間に、吸血族の王室に選ばれた人間は一族の貴族の内の誰か、特にその特殊能力の低い者の中から若い者を配偶者として与えられ、吸血族の仲間入りをする為の儀式を受けるのだ。

「いや、それはええんやけど。君、そしたら吸血鬼としては力が弱いてことか」

「…………ええ、そうです。僕の特殊能力は、他の貴族に比べると劣ります」

「そうか」

イヅルは俯いて、透明な赤茶色の液体を見つめた。

歪んで映る自分の像は、まるで泣き出しそうな表情。

今の気分にはぴったりだ。

「ほなさっそく。今晩からよろしゅう……とゆうことでええんやろか?」

「っ……はぃ」

イヅルは顔を上げられない。

今日、これから始まる苦痛な時間を思うと、やり切れなさに胸が痛んだ。

吸血族が人間を仲間に加える方法、それは性交渉を行う事。

それがどんな形であっても、互いの精を与え合えればそれで良い。

とは言えイヅルにとっては初めての相手であって、まして今日、今知り合ったばかりの得体も知れない人間の男。

上背ある彼を抱きたいとも思わなければ、抱かれたいとも思えない。

しかし人族を吸血族に変える事が出来るのは、数少ない純潔の吸血族である貴族だけ。

イヅルの両親は共に吸血族の貴族であり、イヅルはつまり数少ない純血種の一人である。

これは宿命、逃れられぬ血の楔なのだ。

「浴室を…………使われますか?」

意を決したイヅルが訊ねる。

「ああ、使わせて貰おかな」

「では」

イヅルが壁際の執事に目で合図をし、「どうぞこちらへ」市丸を案内させた。

市丸の出ていったドアを見つめて、イヅルは溜めていた息を吐く。

「父上、母上どうか僕が、無様に逃げ出さぬよう、お守り下さい」

手を組んで祈った言葉は、ただ静寂に飲まれ、後には冷えた紅茶だけがイヅルに残された。









********************************











寝室に移ったイヅルは、夜着に着替えてしまうと、することもなくなって寝台の端に腰掛けた。

今からしなければならない会話を頭の中だけでシミュレーションしてみる。

まず何と言って迎え入れるべきなのか。

お待ちしておりました、ではまるで待ち侘びていたかのようで嘘くさい。

お帰りなさい、でも何だか砕け過ぎている。

ここはやはり、風呂の加減でも訊いてやり過ごすべきだろう。

では次に、どちらがどのように交渉を行うか。

ああ、これについては彼の意見も十分に聞いた上で決めなければならないだろう。

しかし彼は僕とそうする事を、どう思っているのだろうか。

イヅルは必死で、思考の海に沈もうと、頭だけを働かせる。

時計は見ない。

時間を知れば、その分、辛く、焦ってしまう自分を知っているから。

「市丸様がお戻りになられました」

ノックの音と共に聞こえてきた執事の声に、イヅルはビクッとして顔を上げる。

勝手に掌に汗が滲み、シーツを力一杯握り締めていた。

「どうぞ」

「ええお湯でした」

同じく夜着に着替えてきた市丸が、読めない笑顔を浮かべてイヅルに近づく。

「そ……うですか」

台詞を早回りされてしまったイヅルは言葉に詰まって口籠もる。

次に言わなければならない事は……。

考えれば考えるほど、酸欠気味の頭がくらくらした。

「えらい緊張してはりますね」

ぎしっと寝台を軋ませながら、イヅルの隣に腰を下ろした市丸が言う。

「ええ……まぁ、初婚なので」

正直に答えながら、震えているのを気付かれまいと、シーツを握る力を強くした。

その手に市丸の手が重なる。

「初婚て、イヅルさんは幾つやの? 吸血族の歳は見た目や分からんよって」

「18です。今日が…………誕生日なんです」

温かな人の温もりを右手に感じで、イヅルの心は更に竦む。

「え、今日誕生日なん? しかも18て、ボクより年下やん」

「市丸さんは……お幾つなんですか?」

「ボク? ボクは27やで」

「そう……ですか」

市丸に触れられている所が心臓にでもなったようにドクドクと言っている。

「はぁ、今日誕生日やなんて。知っとったら何かプレゼントくらい持ってきたのに」

イヅルは自嘲する。

何を贈られたところで、今イヅルが一番欲しいと望んでいるものは手に入らない。

市丸の手が、イヅルの手を握り込んだ。

「なぁ、イヅル君。めっちゃ震えてるけど、そないボクが怖い?」

「え?」

イヅルは思わず顔を上げ、市丸の顔を真正面から見つめた。

心配そうに寄った眉が、先程までとは全く違う表情を作っている。

「なぁ、もしかしてボクが初めてなん?」

「……っ」

イヅルの眉が寄って、辛そうに目を伏せながら、こくりと頷く。

「そうかぁ。そんなら怖いわなぁ。いきなり自分より年上の大きい男、相手にせなあかんねんから」

市丸の手がイヅルの髪に伸びる。

触れた瞬間、ピクリと反応したイヅルは、それでもされるままに髪を撫でさせた。

「イヅル君はボクや不満?」

「……いぇ、良い人で良かったと…………思っています」

「嘘やな。ほんなら何でそない震えてるん? 今にも泣き出しそうな顔しとる」

もう一つの手がイヅル顎を掬う。

無理矢理視線を合わせられたイヅルは、いやいやをするように指を外し、再び俯いた。

「ボクはイヅル君の事、一目で気に入ったんやけど」

耳元の囁きは甘いと言うより寒気が走る。

「こない綺麗子、ほんまにボクの相手なんやろか思て、びっくりしてもぉた」

ちゅっと耳朶に吸い付かれて、イヅルは大きく肩を揺らして動揺した。

「まだイヅル君の声も、身体も、誰も知らんの?」

「っ……ん」

ぺろりと舐められて、思わず声が漏れた。

「可愛い声。もっと聴かして」

「あっ……やぁ……ん」

刺激から無意識に逃れようとした身体を捕まえられて、横倒しになった寝台の上で、市丸が覆い被さってくる。

相変わらず耳を舐めねぶられて、ぞわぞわと背中を走る感覚に、イヅルは流され始めた。

「綺麗肌。真っ白やね。吸血鬼言うたかて、御伽噺の吸血鬼と違ってホンモンはお日さんに当たったかて何ともないのに」

「うぁっ……あん……辞めっ」

襟元に手を差し入れられて、直に市丸の肌の感触を覚えたイヅルは、足を動かして寝台を背中から這い上がる。

「逃げたらあかんよ」

その腰を掴まれて引き戻されると、乱暴に夜着を剥ぎ取られた。

「あ……っ」

薄闇の中、ちらちらと赤いものが光る。

イヅルは思わず目を開いてそれを見ると、市丸の細く開いた目の色だった。

自分などより、よっぽど吸血族らしい。

この男に屠られるのなら、十分に意義はありそうだ。

イヅルは奥歯を噛みしめて、一切の抵抗を辞めた。

指先が震えるのは止められなかったが、市丸にされるがままに一糸纏わぬ姿となる。

「諦めたん?」

問いかけに、薄く笑って返した。

いずれ去らぬ宿命ならば、せめて心穏やかに、貴族にあるまじき無様な行動はすまい。

―――――亡き父と母の尊厳の為にも。

「嫌な笑顔やね。壊したろか?」

それまでイヅルを前に楽しそうに笑っていた市丸が、一変して意地の悪そうな表情になる。

「え?」

不安に声を上げたイヅルの首筋に、市丸が歯を立てた。

「つぅっ……な、なに?」

「模擬練習」

「そんな、2.3回性交を繰り返せば、牙が生えます。焦らなくても」

「ええんよ。痛いやろう? 痣なった」

そう言って市丸はイヅルの肌の赤くなった箇所に指を這わせる。

「嫌なんやったら嫌って言ぅてごらん。辛いんやったら辛いて言うたらええねや。そんな風に人馬鹿にした風に笑ろとったら、心まで冷えて嫌な奴になってしまうで」

イヅルは目を伏せる。

自分でも素直ではないと分かっている今夜、それを指摘されるのは辛かった。

せめて、せめて父と母が生きていてくれれば、こんな気持ちにもならなかったものを。

イヅルは溜息の代わりに市丸に腕を差し出した。

「市丸さん、貴方に僕をあげます。これから一年、僕は貴方の伴侶になります」

本当はしてくれていいと言いたかったのだが、口を付いて出たのはそんな言葉だった。

市丸は少し驚いたように目を開いたが、すぐに読めない笑顔に戻り、低く笑う。

「伴侶て妻いう意味やで。分かってんの? ボクが君のご主人になる言う事や」

「ええ、構いません。僕は妻でも夫でも。でも市丸さんは妻になりたい訳ではないのでしょう?」

「そらな。とんでもないごついおっさんが相手やったらどないしょう思てたけど、イヅル君みたいな華奢で小さい美人さんやったら喜んで抱かせて貰うわ」

イヅルも笑おうとして、笑えなくて、ただ目を閉じて頷く。

「ほなイヅル君、食べさせて貰うで?」

「はい」

確認の言葉に頷いたイヅルは、唇を奪われた。

深く、奥まで侵入してきた舌が、イヅルの舌を絡み取る。

混ぜられて、吸われて、歯列をなぞった市丸の舌は、イヅルの犬歯に触れて、珍しそうになぞった。

「可愛い牙やね。こない小さい物やとは思わんかった」

「っ……はぁ、別に、皆が小さい牙である訳ではありません」

「ほなイヅル君が偶々小さい牙の持ち主なだけか」

「ええ」

薄く開いた視界の先で、市丸が笑う。

「よう似合てる」

下唇を噛まれて吸われ、充血した唇の紅を楽しんだ市丸は、口付けを下へと下げた。

「感じるんは人間と同じ所なんやろか?」

尖らせた舌で乳首を突きながら訊ねられて、イヅルは上がる息を抑えながら頷く。

「大体一緒だそうですよ。ただ……っあ、吸血行為にも快感があります」

「そうらしぃな。イヅル君に血ぃ吸われてみたいけど、初日はあかんのやったかな?」

「ええ。種族転換の場合、初日は精を与え合うだけで、血は……っ、混ぜてはいけませ、ん」

「ほな明日以降のお楽しみやね」

市丸がイヅルの下肢に、舌を這わせた。

「っ……んぅ」

温かな舌が、猫のように茎に絡みつく。

「やぁっ……っぅ」

袋から茎を何度も何度も執拗に舐められて、イヅルはもどかしさに背を反らせた。

「ふぅっ……ちまる、さっ」

「なに? いきたい?」

「っは、い。も……もぅ……っ」

決定的な刺激だけを避けて、焦らすような舌技に、イヅルは生理的な涙を零す。

「イヅル、ええ声や。もって聴いときたいんやけど、もう無理?」

「もぅっ……お願い。無理で、す」

「しゃあないなぁ。堪え性のない新妻さんやね」

イヅルの茎は既に先走りでぬるぬるになりながら震えている。

市丸は先端に舌先をねじ込むように押し付けながら、温かい口内へと導いた。

「ふぁあっっ、あっやぁ、イクッ……〜〜〜っ」

絶頂は一瞬で、登り詰めてダイブした四肢は、倦怠の海へと沈み込む。

荒い息を吐きながら、夢見心地で目を瞬かせるイヅルに、市丸が触れるだけのキスをした。

「気持ちよかった?」

「…………はぃ」

力のない返事に、「ほな次はボクの番やね」と楽しそうな声が重なる。

「せやけど、いきなり口ですんのは無理そうやね」

とろとろのイヅルの口に、指を差し入れた市丸は少し残念そうに笑った。

「今日は指で練習しよか。ちょっとづつ覚えたらええよ。時間はあんねんから」

イヅルに市丸の言葉は理解出来ない。

ただ性急な快感に身体を委ねるだけで、市丸に両足を抱えられても無抵抗のままだった。

折り曲げられた苦しい体勢を強いられたイヅルは、無意識に喘いだ口に指を差し入れられる。

「噛んだらあかんで? 舌使って舐めてみ?」

言われるままに舌を絡める。

そのまま足の間の、もっとも奥深い箇所にぬるりとした感触を覚えて、気持ち悪さに歯を立てそうになった。

「あかんよ。噛んだらあかん。吸ってごらん? 舐めて、絡めて、吸い上げる。ええ子やね」

小さな子供をあやすような優しい声音に、イヅルは呆としたまま従う。

「ん……んんっ」

下肢のぬめりに指が這わされ、小さな穴を暴かれる。

ぬるぬるとした感触が気持ち悪くて、でも必死で指に舌を絡ませていると、何だか別の感覚に支配されていく。

「んぅ……んんんっっ」

「痛い? 十分湿らせた思ったんやけど」

するりと入り込んできた指に、ひどい異物感を感じる。

「んんっ」

「もっと濡らして欲しい?」

市丸が囁くと、そこに冷たいものが宛われて、液体が中に侵入してきた。

「ん
―――――っんん、んっ!!」

冷たい液体が、中に入ってくる感触に、イヅルは首を振って逃れようと暴れる。

背筋がぞわぞわと震えて、泣きたいような気持ちに襲われて。

けれど市丸の力は強くて、イヅルは結局逃げられない。

泣きながら顎を固定されて、指を銜えさせられたまま、びしょびしょにされた下肢にも、指を銜えさせられる。

「もう痛くないやろう?」

確かに痛みはまったく感じなくなったが、異物感は消えない。

それどころか液体が入った所為で、背筋の悪寒は増すばかり。

「イヅル、舌がお留守になってるで?」

囁かれて、舌を動かす自分が滑稽だと思った。

どうしてか逆らえない。

否、逆らいたいと、本気で思っていない。

くちゅくちゅと水気を帯びた音が、下肢から響く。

その卑猥さに鼓動は跳ね上がるばかり。

「もうええかな」

呟きは独り言のようで、イヅルはただ市丸の指に舌を絡ませながら、無意識に腰を揺らした。

「ええ顔してる。イヅル、ちょお我慢しよな」

指が引き抜かれた。

名残惜しさに舌で後を追うと、白い糸が引いて、自分に覆い被さる男の姿が目に入る。

―――――っ」

太くて赤黒い物が、イヅルのソコに宛われていた。

「待っ……
―――――っっっ!!!!!」

制止の声は間に合わず、衝撃が身体を襲った。

裂かれる感覚。

みりみりと身体に埋まっていく楔。

痛いのに、もういっぱいなのに、ぬめりに助けられたそれは奥までゆっくりと、けれど止まることなく侵入してくる。

「〜〜〜っ!!!!」

シーツを手繰り寄せて、声も出ないまま上へ擦り上がった。

しかし密着は離れることなく、追ってきた身体に押さえ込まれる。

入られる。

「ああっああああっ〜〜〜っ!!!」

泣き声と悲鳴で視界が赤い。

未だ衝撃の余韻を受け止められないまま、それは抽送を始めた。

「ひぃっ……いあっ……あああああっ」

横を向いて、身体を突っぱねて、背がしなるほど反り返らせて。

それでも行為は終わらない。

どんなに足掻いても、市丸の身体はイヅルの中を掻き回す。

「もうちょおしたら、痛いだけやなくなってくるはずやから」

詰めた声の労いも、辛いばかりのイヅルには届かない。

「痛いっ……いた、いぁ……あああっ、いちまるさ」

「力抜いて、ええ子やから。そない締められたらボクかて痛い」

そんな事を言われても困りますっ!!!

言葉にならなくて、頭の中だけで叫んだイヅルは、けれど必死で四肢の強張りを緩めようと息を吐いた。

「そうや。ええ子やね、じき気持ちよくなる、どない?」

耳元の囁きに、痛いと、苦しいとイヅルは首を振る。

「ここはイヅル?」

角度を変えた抽送に、イヅルは増した圧迫感から声も出ない。

しかし再び角度を変えた市丸の動きに、突然電気が走ったかのような何かか背中を駆け抜けた。

「っ……〜〜〜っ!?」

目を見開いて、驚きを隠せないイヅルに、市丸は笑う。

「ここがええ?」

ぐりっと、硬いしこりを擦られて、射精感が込み上げる。

「いやぁっだめっ!!!」

強すぎる快感に、痛くもないのに身体が怯えて、イヅルは四肢を突っぱねた。

「いややないよ、ええって言うんや。感じるやろ?」

「いっ……っ、ぅあっ、あ、あああっ」

段々と激しさを増す抽送に、イヅルはソコばかりを擦られて気が狂いそうに感じる。

「も、だめ、だめ、だめっ……だ、ぁぁああっ!!!」

二度目の絶頂は市丸の手で遮られた。

出せない圧迫感で呼吸さえも苦しい。

「いや、いや、出させてっ」

あられもなく叫ぶ声に、「一緒に、な」と囁いて、市丸は腰を打ち付ける。

汗に濡れて、息さえ追いつかない揺さぶりに、イヅルは何度も「許して」と「離して」を繰り返す。

「っ……ボクも、いくよ。イヅル、イヅル」

耳元で名前を囁かれて、奥に熱い物が放たれるのを感じた。

鈍痛と共に拡がっていく奔流。

やっと動きを止めた世界に、イヅルはぼんやりと目を見開いた。

「いちまる……さん」

無意識の呟きに、市丸が答える。

「なに?」

イヅルの上に覆い被さるように解放の余韻を楽しんでいた市丸は、イヅルの顔を覗き込んで、はらはらと零れる涙に目を見開く。

「どないした? 痛い?」

ゆっくりとイヅルの中の己を引き出し、そっと触れた入口に傷がないのを確かめた市丸は、ぼんやりとしたまま泣くイヅルを抱き込んで訊ねた。

「そない嫌やったんか?」

緩く首が振られて、サファイヤ・ブルーの瞳からまた涙の筋が流れる。

「ほなやっぱり痛む? それか気持ち悪いとか」

「何でもありません」

イヅルは涙声になってしまう言葉に、また涙を流す。

情けなくて。

「せやけど、そない泣いて」

「ごめんなさい。市丸さんの所為じゃありません」

僕が悪いんです。

イヅルは胸の中だけで続けて、目元を抑えて市丸に背を向けた。

快感に流される。

きっといつかは流されてしまう。

だけど今はまだ抗っていたくて。

子供っぽい事は百も承知だが、イヅルはこんな事に慣れてしまう自分が嫌で泣いていた。

いつかは当たり前になってしまう行為に、今はまだ純粋でいられるから。

市丸さんはいい人だと思う。

いや、いい人だろうと、悪い人だろうと、王家の決めた相手ならそれで良い。

それが全てだから。

だから、だけど、僕は人形じゃないから、まだ精一杯の抵抗をしていたい。

物分かりの良い振りをして、両親のように、絶望して消えてしまうのは嫌だ。

「イヅル」

心配そうな声が背中からイヅルを呼ぶ。

「何でもありません」

「何でもない訳ないやろう」

強引な腕が、イヅル肩を掴んで振り向かせた。

「ちょおちゃんとこっち向いて喋り。そないボクが嫌か?」

「いいえ。嫌だなんて言っていません」

イヅルは力づくで退けられた腕に、市丸を睨み付けて言う。

「ほな何で泣くんや?」

「僕が子供だからです。市丸さんには関係ありません」

「子供て、訳分からんわ。まぁ、ええ、でもボク、君、気に入ったから」

市丸は睨み付けるイヅルの視線など物ともせず、笑って視線を受け止めた。

「ボク、イヅル君の事、本気で好きなった。身体だけや足りん。心もちょうだい」

―――――ちょうだいって。

市丸の台詞にイヅルは面食らって、でも乾いた笑いで「冗談じゃありません」と返す。

「勘違いしないで下さい。僕は貴方の伴侶ですが、貴方の恋人じゃありません。僕の心は僕の物だっ」

叫んだイヅルは上体を起こしてベットの上を降りようとした。

しかし寸での所で力の強い腕が腰を攫って、再び市丸の隣に帰らせる。

「どこ行くん?」

「向こうで寝るんです。やる事はやりました。もう良いでしょう?」

腰に絡みつく腕を解こうと、力を込めるイヅルに市丸は短く笑った。

「はっ、新婚初夜の新妻が、何で一人で寝んねん。しきたりでも、確か夫婦は一緒に寝るんやなかったか?」

「……っ」

そんな事にだけ詳しい市丸を睨む。

「規則はちゃあんと守るんがイヅルの信条なんやろう? これだけ破るやなんておかしない?」

ココロが痛い。

イヅルは心臓辺りを掴んで俯き、逃げるのを辞めた。

「ええ子やな、イヅル。これから暫くよろしゅうな。ボクの奥さんやねんから」

「ええ。貴方が……吸血族になるまではお側におります」

顎を掬い上げられ、無理矢理合わせられる唇にも、イヅルは意地になって無抵抗を決め込んだ。

雁字搦めで。

何もかもが雁字搦めで。

窒息死しそうにイヅルは丸くなる。

離れられない、離れちゃいけない。

どこにも行けない。

どこにも行く宛などない。

ただ、雁字搦めで、幸せも不幸も探す気もなくて、イヅルは夜の闇に堕ちた。

抱えられて。

狩人の腕の中。

この心、奪うというなら奪ってみると良い。

この深い、絶望よりも尚深い胸の奥底を、射抜く勇気があると言うのならば
―――――






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