狩られる獲物





「イヅル様、そろそろ11時になりますが」

「ん……ああ、そうか。もうそんな時間……」

怠い身体を無理矢理動かして、執事に「おはよう」と挨拶する。

「おはようございます。市丸様は既に起きておられます」

「え?」

聞き慣れない単語に声を上げたイヅルは、そこでやっと記憶が戻った。

―――――昨日、僕は……っ。

カーテンから柔らかな日差しが差し込み、鳥のさえずりと甘やかな花の香りが漂っている。

ここは両親の使っていた寝室。

―――――夫婦の……寝室。

昨夜、イヅルは18の誕生日を迎えると共に、市丸ギンという男と結婚した。

いや、実際は結婚と言うよりは契りを交わし、一年間、伴侶となる事を契約したのだが。

イヅルは急に居心地の悪くなった寝台を滑り降りて、自分が裸なのに気付いた。

「どうぞお袖を」

執事が掲げた夜着に袖を通し、風呂を使いたいと頼む。

「ではすぐに準備致します。ここでお待ちになりますか?」

「ああ……いや、そう言えば彼は今どこに?」

「はい、市丸様ならキッチンにおられます」

「…………キッチンに?」

「はい。朝の内に起きてこられ、料理がしたいと仰有られましたので」

何でまた……。

額に手を当てて、微かに眉を寄せたイヅルを「お加減が?」と執事が労う。

「いや、問題ない。居間に移るよ」

身体は動かす度に重い痛みが走り、余りよろしくなかったが全て無視してイヅルは歩いた。

キッチンだなんて、何を考えているんだろう。

全く訳の分からない男だ。

イヅルはソファに深く凭れると、天井を仰いで溜息を吐く。

昨夜の記憶が鮮明に思い出された。

―――――ボク、イヅル君の事、本気で好きなった。身体だけや足りん。心もちょうだい。

まさかあんな事を言われるだなんて思いもしなかった。

どちらも望まない関係であれば、もっとドライに付き合っていけると思っていたのに。

ふと視線を降ろし、夜着の合わせから覗く己の足に、赤い痣が散るのを見付けて、イヅルは慌てて布を引いた。

気持ち悪い、と思った。

気持ち悪い。

首筋に手を伸ばし、昨晩噛まれた箇所をなぞる。

見えはしないが、きっとそこにも痣が残っているはず。

とんだ執着心だ。

そんなにこの身体を気に入ったのだろうか。

白くて華奢で、背だってそんなに高くない。

男としては貧弱な身体も、こんな時ばかりは都合が良いというものか。

イヅルは自嘲する。

両親はこの身体を嫌っていた。

いや、身体だけじゃない。

この顔も声も、およそ貴族として、何の貫禄も力もない僕の全てを嫌っていた。

まるでああやって、男に抱かせてやる為に設えたかのような身体じゃないか。

初めから僕に、吉良の名を継がせる意図など微塵もなかったかのように。

運命でさえこんな皮肉に満ちているのに、どして僕が抗えるというのだろう。

目頭が熱くなって、イヅルは唇を噛んで堪えた。

もう十分に思い知っていると言うのに、まだ僕は抵抗しようとしている。

自分の腕に爪を立てて、俯いて震えていたイヅルは、風呂の準備が整ったという執事の言葉に、「分かった」と声が震えないよう精一杯の虚勢で答えた。






*******************







熱いシャワーで洗い清め、何事もなかったかのように服に着替えたイヅルは、居間に戻ったと同時に待ち構えていた市丸に捕まった。

「おはようさん。よう寝てたね。初めてで無理さした?」

イヅルが座っていた時は引かれていたカーテンが開いていて、明るい日差しが部屋を満たしている。

「いえ、別に」

イヅルは出来るだけ市丸の顔を見ないように視線をずらして答えた。

しかし市丸は気にした風もなく、イヅルの返事などなかったかのように、テーブルの上に並べた皿を指さして言う。

「イヅルと一緒にご飯食べよ思て待っててんよ。ボク卵料理とカレーは得意やねん」

オムレツにサラダにスープにパン。

並べられた料理を見て、イヅルは「うちのコックの味はお口に合いませんでしたか」と訊ねた。

「ん? いいや、そうやなくて。ボクの手料理食べさしたろ思て作ったんよ」

そんなこと、して欲しいなんて言ってない。

イヅルは咄嗟にそう思ったが、口には出さなかった。

市丸が悪い訳ではないのは、ちゃんと分かっている。

「そうですか。ありがとうござます」

一応、形だけ礼を言ったイヅルに、市丸は早く食べようと急かす。

「ボクもうお腹ぺこぺこや」

「いただきます」

おとなしく料理を食べ始めたイヅルに、「美味い?」と市丸が訊いてきた。

「ええ。美味しいです」

笑おうと思っても笑えない顔を、結局市丸に向ける事が出来なくて、イヅルは下を向いたまま答えた。

「なぁ、吸血鬼って何で血ィ吸うんやろね」

唐突な話題変換に、スープを口に運んでいたイヅルは一反手を止めて答える。

「血液自体に目的がある訳ではありません。実際は血液を通して生き物のオドを吸収するのが目的ですから」

「せやけど普通に食事もするやん。陽ぃに当たって死ぬ訳やなし、十字架や、聖水や、ニンニクやて世間様では吸血鬼の弱点や思てはるけど、そないなもんで死ぬ訳でもないやんか」

「ええ。食事をしなければ死ななくても飢えますから。人が一つの栄養群だけだけで生きていけないように、吸血族にはオドという栄養素が必要であると言うだけで、人間とそう変わった構造をしている訳ではありません」

「でも死なへんやん? 吸血鬼は。人間は寿命が決まっとって、いつかは死ぬモンやけど、吸血鬼に寿命はないやん。しかも人には使えん超能力がある」

「超能力という表現が正しいかどうかは分かりませんが、確かに吸血族特有の特殊能力はあります。それも個人差があって、僕のように殆ど何も無い者もいますが」

そこで少し視線を落としたイヅルは、市丸に見えないよう自嘲した。

「寿命もまた然りです。人族にとって寿命が細胞分裂の限界であるなら、吸血族はオドの変換率の低下が寿命です。細胞分裂の限界が時間の経過によってもたらされるものであるのに対して、オド変換率の低下は心理的要素に原因します。人族の寿命は一定時間で訪れるのに対し、吸血族の寿命は時間に関係なく、生きる意志を失った時に訪れると言うだけですよ」

イヅルは再び食事に戻る。

しかし市丸は納得がいかないらしく、ティーカップ片手に首を傾げた。

「生きる意志て……死にたいて思うような事なんや、ザラにある思うけどなぁ」

「死にたいと思って死ぬ訳ではありません。退屈に死ぬのです。むしろ何かに追いつめられて、苦しい、悲しい、辛いと思っている時には死ねません。生きているのも死んでいるのも変わらない心境になった時、灰となって消えるのですよ」

そうやってイヅルの両親も消えた。

彼らにとって、つまり自分は生きる目的にさえならなかったのだ。

イヅルは俯いて食事を続けながら、眼を眇めて嗤う。

吸血族の孤児など聞いた事もない。

貴族同士の結婚、出産など何らかの感情や意志によるイベントの前後に、命を失った吸血族などイヅルの知る限り自分の両親以外にはいない。

つまりそれは、それだけ彼らにとって自分が意味のない存在でしかなかったと言う事。

こんな虚しい存在があるだろうか。

自分は誰にも必要とされていない。

絶望と、そして少しの意地で、イヅルの命は未だ生き続けている。

吉良という、下級とは言え由緒正しい吸血族の貴族の跡継ぎとして生まれ。

大した力は持っていないが、この市丸ギンという男を一族に迎え入れる事くらいは出来る。

王家から与えられた指名。

全うすれば、こんな自分でも多少は生まれてきた価値があったと言う事か。

結局、オムレツ半分とパン半分を残して、イヅルは食事を終えた。

「食細いなぁ。せやからそんな細いねんで?」

とっくに食事を終えていた市丸が、ナイフを置いたイヅルを見咎める。

「すみません。折角作って頂きましたが、僕には量が多かったようです」

「多いて……普段どんだけ食べてへんの。もっとちゃんと食べな病気なんで?」

イヅルは苦笑いで、腰を浮かす。

「では、僕はこれで」

「どこ行くん?」

案の定食いついてきた市丸に、「読みたい本があるんです」と既に頭の中で作り上げていた返事をする。

「えー本読むん?」

心の底から不満ですという声音で訊ねられ、イヅルは返答に詰まった。

「ボクここ来てまだ半日も経ってへんお客様やねんで? どこか案内してやぁ」

子供のように頬を膨らませる市丸に、イヅルは驚いて言葉を紡げない。

「こない不慣れなとこで客一人ほっぽり出すやなんて、そらないやろ」

「はぁ」

イヅルはまじまじと市丸を見つめる。

こんなにあからさまな言葉や態度を取られたのは初めてだ。

誰だって心の奥ではそう思っていても、こんなに簡単に相手に自分を見せる事はしない。

それともこれが演技だろうか。

イヅルは迷って眉を寄せたが、「しゃあない。そない本が読みたいんやったら、付き合うたるから一緒におらせて」市丸は立ち上がってにやりと笑った。






***************************





結局、イヅルは市丸を振り払う適当な理由を思いつけず、書斎まで彼を案内するはめになった。

「はぁ〜、まるで映画ん中の部屋みたいやな」

書斎に足を踏み入れた市丸は、感心したように天井まで達する高い本棚を見上げる。

「これ全部読んだ事あるん?」

「いえ。まだこの棚と後数冊読んだくらいで、殆ど読んだ事はありません」

イヅルは書棚に近づき、読みかけていた本を取り出しながら答えた。

「ほなこれもご先祖様から代々のコレクションなんか」

「ええ。各時代の当主が、それぞれの趣味で収集した品が置いてあるので、傾倒は一統していませんが」

「ふーん」

気のない返事にちらりと顔を窺えば、市丸はやはりつまらなそうな顔をしている。

読書に興味がない人間というのは、何だか薄っぺらいな。

イヅルは視線を本に戻し、ふと自分が市丸の粗探しばかりしている事に気付いて小さく吐息した。

だから市丸さんが悪いんじゃないんだって、分かってるじゃないか。

自分に言い聞かせて、軽く頭を振って思考を振り払う。

自分が嫌いで、自分を嫌う回りも嫌いで、もうずっとイヅルの気持ちはささくれ立ったまま。

治らない傷が膿んで、まるで初めからそうであったかのように定着している。

心も同じで、何事も真っ当に受け取る事が出来ずに、穿った気持ちで受け止めてしまう。

こんな自分が嫌いだと、一体どれだけ付き会い続けなければならないのかと、イヅルはまた絶望する。

絶望しただけでは死ねないのだと、また自分に言い聞かせながら。



「なぁ、それ面白いん?」

いつの間にかイヅルの背後に立っていた市丸が、肩越しにイヅルの本を覗き込んできた。

「え……」

自分の考えに没頭していたのか、すっかり抱き締められるまで気付かなかったイヅルは、慌てて腕から逃れようと藻掻く。

「さっきから全然ページめくってへんやん。ほんまにそれ読みたかったん?」

市丸の腕の力は強い。

イヅルは引き剥がそうと渾身の力を込めるが、全くピクリともしない。

「ちょっと、離して下さいっ!!」

「嫌や。イヅルさっきからずっと冷たい。なぁ、そないボクの事嫌いなん?」

「……っ」

昨夜の続きか……。

イヅルは観念して抵抗をやめた。

「嫌いじゃありません。でも好きでもありません。僕は貴方の伴侶であって、それ以上でもそれ以下でもありません」

「つまらんなぁ」

市丸は溜息を吐く。

「まるで本に書いたあるまま読んでるみたいや。イヅルの気持ちはどうなん? イヅルの本当の気持ち教えてや。昨日は怒っとったやん、僕の心は僕の物や……て」

確かにそんな事を言いもした。

イヅルは居心地悪さに俯きながら謝る。

「すみませんでした。少し感情的になっていたようです」

「はぁ? 何でそこで謝るんよ。ボク今感情見せぇ言うたとこやんか」

耳元で盛大に溜息を吐かれ、イヅルは眉間に皺を寄せて口を噤んだ。

どうして感情なんて見たがるんだ。

僕は貴方みたいに簡単じゃないし、綺麗でもない。

僕の気持ちなんて、取るに足らない物じゃないか。

無視してやりたいように、やりたい事だけしたらいい。

そうは思うが、口には出せずに、ただ俯いて市丸が飽きるのを待つ。

「イヅルのホンマの気持ち、教えてや?」

市丸の囁きにも、イヅルは頑なに口を閉ざす。

「イヅル?」

イヅルの名を呼ぶ市丸の声は優しいが、イヅルの心には届かない。

誰が届けてなどやるものか。

目を瞑って全てで市丸を拒絶するイヅルに、とうとう市丸が切れた。

「なぁ、ボク、気ぃ短いねんけど」

急に低くなった声に、けれどイヅルは気付かない振りをする。

「ボク怒らせるとちょっと後悔すんで?」

耳に直接流し込まれる言葉に、心は静止を望んだが、身体だけがビクリと反応した。

「イヅルは口より身体の方が素直やな」

囁きと同時に、イヅルの腰を抱き締めていた腕が解け、シャツの合わせから布を左右に引っ張られた。

「なっ……!?」

引きちぎられたボタンがカーペットに転がる。

露わになった胸に指を這わされ、イヅルはさすがに前のめりに逃れようと藻掻いた。

「なにを……!?」

「なにて……ナニに決まっとるやんか。夫婦で抱き合うとるのに、他にする事あるん?」

市丸の手がイヅルのズボンのチャックを降ろして、敏感な箇所が捕らえられる。

「やぁっ……やめっ」

突然の強い刺激に、腰が砕けたイヅルは、目の前の机に手を付いた。

「もう元気になって来とるで」

市丸の指がイヅルの敏感な箇所を擦り上げる。

「んくっ……んん……ぁ」

イヅルはそんな振る舞いに、声を上げまいとせめてもの抵抗を試みるが慣れない行為にそれも難しい。

「っ……あ、辞めてっ」

叫んだと同時に、市丸の手が離れた。

「え?」

腕の支えを失ったイヅルは、その場にしゃがみ込んで市丸を振り返る。

「辞めて欲しかったんやろう?」

ひらひらと手を振ってみせる市丸は、にやにやと笑ってイヅルを見下ろした。

「せやけどそれ、どないすんの? 自分でやるん?」

ベルトもバックルも外されてしまって、脱げかけのズボンから覗く下着は盛り上がっている。

「〜〜〜っ」

慌ててイヅルは手で隠したが、目尻に涙が浮いていた。

「どないする?」

市丸はそんなイヅルを見下ろしたまま、涼しい笑顔で問いかける。

「なぁ、イヅル、昨日気持ちよぅなかった? 最初痛がっとったけど、最後めちゃめちゃ感じとったやん」

「なっ」

キッ、と睨みつけるイヅルに、けれど市丸は言葉を止めない。

「そこも何回も何回もボクの手に出して、気持ちよかったんやろう?」

「あ……貴方はっ……っ」

吐きかけた文句を、けれどイヅルは飲み込んで、先程からズキズキと痛む下肢に視線を落とす。

口論よりも先にこれをどうにかしなければ。

イヅルは市丸を睨み付けたままふらふらと立ち上がり、ズボンを履き直した。

しかしトイレへと歩き出そうとした道は、腕を広げられ、塞がれてしまう。

「通して下さい」

「いやや」

「巫山戯ないで下さいっ!!」

イヅルは相変わらず市丸を睨んでいるが、一向に効果はないらしい。

「ちゃんと答えたら通したる。昨日、気持ち良かったんやろう?」

「……っ」

前屈みのまま、イヅルは舌打ちする。

「口付いてんのやろ。ちゃんと答え。昨日ボクに挿れられて、気持ち良かったんやろう?」

イヅルの目が屈辱に伏せられた。

「ええ、気持ち良かったです。不本意でしたが」

「不本意か」

市丸の声は嗤っている。

「ほな本意になるまで慣れて貰おか」

イヅルに近づいた市丸は、イヅルの腹辺りに腕を回すと、何の前触れもなくいきなりその両足を後方へと蹴った。

「わぁっ……っ!?」

顔から床に倒れそうになったイヅルは、市丸の腕に腹を支えられるようにカーペットの上に四つん這いに降ろされる。

「な、ちょっ……!?」

着直したはずのズボンがあっと言う間に下着ごと降ろされ、露わになった下肢を掴まれた。

「ひっ」

怯えて逃げようとすると、足首辺りに纏わり付いたズボンを膝で踏まれ、動きを封じられる。

「こういうんは不本意なん?」

背中から覆い被さるようにイヅルのモノを握った市丸が問うた。

「あ、当たり前ですっ」

先端に爪を立てられて、今にも達しそうなイヅルは必死で言い返す。

「ほな出さんでええよ」

市丸はそう言うと、自分のネクタイを解いて、イヅルのそれに絡めると、射精できないよう結んでしまった。

「なっ……何して!?」

「ボクがイヅルに触れるんは伴侶やから許す言うのに、気持ち良くなるんは不本意やなんて言うんやったら、本意になるまで泣いたらええよ。市丸さんいかせて下さい、言うたらいかせたる。それまで精々我慢しとき」

なん……なんだって?

イヅルは瞠目して喘ぐ。

市丸は再びイヅルへの愛撫を開始して、感じてしょうがない裏筋や先端を執拗に責めた。

「いっ……ああ、あいっ……いった」

ぐりぐりと親指で先端を刺激されると、それだけで視界が赤くなる。

気持ちいい。

なのに痛い。

「あっ……あああっ……いやぁ」

苦しい。

こんなに感じているのに、出せなくて。

快感が激痛に変わっていく。

「ほらイヅル。市丸さん、いかせて下さい……は?」

耳元で囁かれて、涙が零れた。

こんな……ひどい!!!

「ひぃっ……いっ……あああっ…っ」

戒められていてもぬるぬると先端から少しずつ液が漏れているらしく、市丸の手の動きは次第に早くなる。

余計に苦しくて、イヅルはカーペットの毛を毟った。

「強情やね。ほなこっちはどうなん?」

市丸の手がイヅルの硬く反り返ったそこから離れ、もっと後ろの秘口に触れる。

「やぁ、やだっ、辞めっ……やぁぁああ」

イヅルの先走りでぬめりを帯びていた指は、難なく狭い穴に入り込む。

二、三回、抜き差しを繰り返されると、それだけで入口がひく付いたのが分かった。

「小さい穴やなぁ。ピンク色やで。やらしぃに濡れとる」

「やぁぁぁあああああ」

市丸の言葉を、イヅルは悲鳴を上げて遮る。

けれどそれを鼻で笑った市丸は、今度はイヅルによく聞こえるように、耳元に唇を寄せ「いきたい?」と訊ねた。

「い、いきたっ……いきたいっ」

イヅルは荒くなって上手く出来ない呼吸で何度も頷く。

「ほなちゃんと言うてや。市丸さんいかせて下さい、て」

「い、いちま……るさっ」

イヅルはぼやけて仕方ない目で遠くを見つめながら、市丸の言葉を繰り返そうとした。

しかし後口に銜えた指が、中で不自然に折り曲がる。

「ひィッあああああっ、やっ……んぅ」

びくびくと身体が跳ねるほど感じたそこは、昨晩市丸に暴かれたイヅルの弱点。

「ここが好きやな、イヅルは」

「うっ……う、もぅいや」

イヅルの手が自分の下肢に伸びる。

「おっと、あかんよ。ちゃんと言うまではいかせへん」

市丸の手がイヅルの両腕を捕まえ、一つにして背中に縫い止めた。

膝立ちの俯せ、しかも両腕は背中で拘束され、肩で身体を支える状態のイヅルは下肢の激痛にも限界を突破している。

止めどなく涙を流して、「いや」と繰り返すイヅルの背に、市丸は優しいキスを落とした。

「気持ちええことは悪いことやないよ。いきたいやろう? イヅル」

イヅルは何度も頷く。

その様子に、市丸は笑って言った。

「ほな解いたげよう。せやけどこれはイヅルの本意やで?ええな」

「は、はいっ……も、だからっ解いてっっ」

泣き声の懇願に、市丸の指が戒めを解いた。

「あああああっ」

再び中の指がイヅルの弱点を引っ掻き、後ろ手を拘束していた手がイヅルの精を受け止める。

長い事拘束されていたそこは、やっとの解放にビクビクと精液を放ったが、市丸の指は最後の一滴まで絞り出すように擦り上げた。

「なぁ、気持ちええやろ? 気持ちええ思うんは悪い事やない。せやから本当の事言い」

虚ろな視線で解放の余韻に浸るイヅルは、市丸の胸に抱き竦められ、カーペットの上に横たわる。

「イヅル。ボク、イヅルが好きや。イヅルが伴侶で良かったて本気で思てる」

市丸の囁きに、イヅルは黙ったまま目を閉じた。

涙が流れる。

このままだと流されてしまいそうで。

怖い。

イヅルはこっそりと自分の掌に爪を立てる。

「僕なんか」

けれどそれは口を吐いていたらしく、イヅルの腰を抱く市丸の手がピクリと反応した。

「ボクなんか?」

繰り返しは疑問系で、イヅルはしまった、と唇を噛む。

「なんでそない自分の事嫌うん」

言えるものか。

イヅルにとって両親の事を話すことは自分の価値を話す事だ。

自分と、両親と、吉良の家にとって無駄に恥を晒す事はない。

しかし何と言い訳したらこの男は引いてくれるだろうか。

「イヅル、ちゃんと言うてみ」

市丸の手がイヅルの腹辺りを撫でる。

イヅルは意を決して市丸を振り返った。

「市丸さんがちゃんと吸血族の仲間になったらお話しします」

「なにそれ、めっちゃ先やん」

唇を尖らせる市丸に、イヅルは「すみません」と言う。

「今は話したくないんです」

「夫でも?」

「…………夫でも、です」

相変わらず市丸の表情は渋い。

しかし「夫婦の間に秘密があるんは良ぅないけど、交換条件飲むんやったら訊かんとく」と言った。

「交換条件……ですか?」

訊ねたイヅルに、にやりと市丸は嗤う。

「そうや」

市丸の指がイヅルの頬に触れて、形のいい薄い唇を突くと「ボクの銜えてくれたら置いといたる」と提案した。

「銜え……っ!?」

イヅルは半身を起こし、寝転がる市丸を驚きの表情で見下ろす。

「さっきはイヅルだけ気持ち良ぅしたったからボクいってへんもん。上の口でも下の口でもええよって、ボクの挿れさしてくれたら訊かんで置いといたるよ」

「……っ」

ボタンの弾け飛んだシャツだけを纏うイヅルは、合わせを手で引き寄せながら眉を寄せた。

「そんな……の」

勝手にやってくれたら良いのに。

市丸は寝転がったまま、「ほら早ょう」と手招きする。

「言うとくけどボクは動かへんから、下の口で銜えてくれるんやったら、自分から挿れや」

「なっ……そな、こと……」

イヅルの顔は赤い。

泣き出す一歩手前の表情だが、市丸は譲る気はないらしい。

「どっちにすんの?」

横柄な物言いに、イヅルの心も冷えていく。

今更なにを躊躇っているんだ。

どうせ一年間、何度でも交わらなきゃならないのに。

「口でします」

「上の?」

「…………上の口、です」

イヅルの返事に、市丸は仰向けに寝転がって「ほなおいで」と手招きした。

ゆっくりと市丸に近づいたイヅルは、傍らに座り込むと、ちらりと市丸の顔を窺う。

「出さな銜えられへんで?」

もっともな意見に、「分かってます」と答えたイヅルは、そっと市丸のズボンのチャックを下げた。

ベルトも外して、下着の下に息づいている市丸のモノを見る。

自然顔に血が上り、涙目になる表情を楽しんで、市丸は再び急かした。

「全部銜えんでもええから、舐めて」

「…………っ、はぃ」

下着をずらしたイヅルは、やっと市丸のモノに触れる。

そのおっかなびっくりな手つきがくすぐったいくらいで、市丸は半笑いなのだが、イヅルはそれに気付く余裕はない。

邪魔な金髪を耳に掛け、顔を近づけて舌を出す。

触れるか触れる無いかの時点で目を瞑ったイヅルは、舌先でチロリとそれを舐めて眉を寄せた。

…………何でこんなことしているんだろう。

ぞろりと舌を這わせて舐めてみる。

けれどそれ以上はどうして良いのか分からなくて、ちらりと市丸の方を見れば、「手ぇも使って扱いて。口は初めてでも手ぇは自分でやったことあるやろ」と言われた。

これが誉れ高い吸血族の貴族の姿だろうか。

嗤いたいが、現状では出来ない。

イヅルは必死で自分で自分を慰める時の手の動きを思い出し、戸惑いながらも動かした。

吸血族としての力が殆ど無い。

イヅルは市丸にそう言った。

けれど実際は、吸血族として、特にその貴族の中に見られる特殊能力を、イヅルは欠片も持っていない。

過去の偉大な能力者の中には自身を霧に変え、どこへなりと好きな時に好きな場所に入り込む事の出来る者や、人ではない異形の姿形に変化し、空を飛んだり水を泳いだりしたらしい。

それが何十年、何百年、何千年という時間の中で、現在の能力者は自然物を自在に操ったり、生き物の精神に作用して幻覚や暗示、洗脳などを施したりする能力者が多数を占めている。

とは言え、力の強い者は希で、四大貴族と呼ばれる上級貴族以外に目を見張るほどの強大な能力者は、貴族ではなく、元人族の者が大半を占めるのである。

きっと市丸も、王家が認めるほどの人物なのだ、多大な潜在能力があるのだろう。

やっと鎌首をもたげてきた市丸のそれを、イヅルは咥内に導いた。

歯を立てないように銜え込んで、指で輪っかを作りながら抽送を繰り返す。

けれど容量を増すほど口に納まり切らなくなって、結局横から舐めるしかなくなった。

「……っ、……イヅルっ」

余裕のない呼び声に、ふと市丸を見やったイヅルは、気持ちよさそうな表情にドキッとする。

「ええんやけど、やっぱりイヅルん中でいきたい言うたらあかん?」

唇を離したイヅルは、ちょっとの間考える。

きっと良くなかったんだろう。

これじゃあいけないと判断されたかな。

「好きにして下さい」

視線を外して言ったイヅルに、起き上がった市丸が口吻る。

眉を寄せて口吻を受けたイヅルの唇は、もちろん市丸の先走りで濡れていたのだが。

良かったのだろうか……?

イヅルが考え込んでいると、「堪忍」と市丸が謝ってきた。

そして少し浮かせたイヅルの腰の中心に、市丸の指が絡みつく。

「っ……ん」

そのまま抱き合うように前を扱かれ、再び起立を取り戻しながら、ぬめるどちらの物ともつかない精で後口を解される。

「……っん…………あの」

くちゅくちゅと濡れた音をさせ始めたそこに腰を捩らせながら、イヅルが口を開いた。

「ん?」

「………………優しく……して下さい」

先程のような激しいやり方では身体が付いていかないと、恥を忍んで希望してみたが、市丸は答えずに赤い瞳を覗かせた。

「あ……っ、あの?」

「…………あ、ああ、ええよ。優しゅうしたる」

ふわりと身体がカーペットに横たえられて、向かい合う形で顔を覗き込まれる。

「びっくりした。イヅル、初めてやな、ボクに何かお願いすんの」

「え?」

止まない愛撫に息は上がるが、市丸の言葉も気になる。

お願い?

イヅルが首を傾げると、「イヅルが何も言わんからああせぇ、こうせぇ言うたけど、ちゃんと言うてくれたらボク、イヅルのお願いちゃんと聴くよ? 嫌な思いさせたい訳やないねん。料理作ったんも、イヅルんこと喜ばしてやりたい思たからや。ほんまやで? ボク、イヅルが好きなんや」嬉しそうに笑われて、顔が熱くなるのを感じた。

好き……?

初めて市丸の言葉をちゃんと聴いた気がする。

腰を抱え上げられ、宛われた熱で竦む身体に優しいキスが降る。

「優しゅうするから」

囁きに腕を伸ばして、市丸の頭を抱き寄せた。

好き。

好き?

僕の事が好き?

何で?

ずくりと入ってきた熱に、言葉は紡げなくなった。

意識ごと持って行かれる身体を揺さぶられながら、イヅルは霞む思考で心に決める。

どうして僕なんかが良いのか。

どうして僕なんかを好きだと思ったのか。

後で訊こう。

訊いてもし、納得できたなら。



―――――この闇は晴れるのだろうか……。



「あ……あああっ……んっ……」

嬌声を迸らせ、がくがくと揺さぶられながら、心まで浸食されていく。

こんな木偶の坊を、欲しいと笑う奇特な狩人の腕の中。

イヅルは狩られる心地よさに、その弓矢の刺さるのを心待ちにする自分に嗤った。









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