リードと首輪と甘い罠








果たして市丸ギンという男はイヅルの想像以上に巫山戯た男であることが、付き合ってみるとボロボロと、それこそ底に穴の空いた米袋のように発覚していった。

まず第一に、自堕落を絵に描いたような生活を本当にする。

大体自堕落を辞書で引いたら”身持ちが悪くふしだらなこと。また、だらしないさま”と出るものだが(大辞林)全く持ってその通り。

最初に済し崩し的に身体を許してしまったのがいけなかったのか、ともかく時も場所も関係なく、欲しいと思った時に手を出すおかげで学校でだっておちおち二人きりになれない。

そこが学校の踊り場であっても出席名簿の目隠しだけでキスをするのだ。

市丸がそう言う性格なのは何となく想像が付いたし、イヅルだって承知の上で付き合うのを了承したのだが、市丸以外の人間に対してはイヅルは模範的な優等生で通っている。

これを崩すつもりはないし、イヅルとしては死守したい。

それを何度言っても市丸は理解しないし、協力もしないので、いきなりイヅルは疲れていた。

今日も今日とて昼休みに、友人の恋次達級友と昼食をとっていると、突然古典教科準備室に来るようにと全校放送を流され、イヅルは渋々……と言っても傍目にはにこやかにそこへ向かうこととなった。

まさか優等生のイヅルが面倒くさいから行かない、だとか、どうせ大した用じゃないだろうから、なとど言うのは不自然すぎる。

悲しいかな自分で作った優等生の仮面の元では、嫌でも向かわずにはおれない。

しかもにこやかに、だ。

仕方なしノックしてドアを開けたイヅルは、半ば既に呆れた表情で市丸に尋ねた。

「今度は何の用ですか?」

市丸は逆光になった顔を口端だけ上げて笑う。

「浮気防止。一緒にお昼食べよ」

またか……。

イヅルはガックリと項垂れる。

「もうこれで三日連続じゃないですか。さすがに僕もう言い訳のネタ尽きてきましたよ」

イヅルはそれでも市丸の為に、昨日も片づけたのに半日で汚れている机を片づけ、食事のスペースを作りながら言った。

「それやったらイヅルの方から来てくれたらええやン。毎回ボクが呼び出さんで済むように」

「嫌ですよ。怪しまれるじゃないですか。僕は誰にもばれたくない、疑いを持たれるのだって極力避けたいって、何度も言ってるじゃないですか」

「なんでぇ。イヅルは気にし過ぎやねん。そない肝っ玉が小さいからヒステリーになるねん」

「誰がヒステリーですか。喚き散らしたりしてないじゃないですか」

「ネチネチネチネチ小姑みたいに、いっつもキーキー言うてるやん」

「きーきー何て言ったことはありません」

毎回この調子なのだ。

何だかイヅルは頭痛を覚えて仕方ない。

市丸が子供っぽいことは分かっていた。

大人気ない、自堕落な人であることも。

けれどまさかここまでとは、なんて言ったらさすがに性格が悪いだろうか、とイヅルは溜息を吐く。

決め付けている訳ではない。

市丸に良いところだって沢山ある。

だから付き合ったんじゃないかと言い聞かせて、けれど本当にこれで良いのだろうかと悩む。

「イヅル、イヅル、これ飲み」

市丸が渡してきたのはアイスココア。

「弁当にココアはちょっと……」

イヅルは瞼を平らにさせて受け取ったは良いものの口を付けるのは躊躇われた。

「カルシウム豊富やで。飲んでちょっとは大らかになりなさい」

それでか……。

イヅルはその茶色い甘い液体を一口飲んで、甘い、と眉を顰めた。

「市丸さん……本当に僕と付き合ってて楽しいんですか?」

訊かずにはおれなくて、イヅルは市丸を見つめる。

「楽しいよ。イヅルは楽しくないの?」

「いえ……そんな事はないんですけど。僕、怒ってばかりだし」

怒りたくはないのだが、怒らせているのは市丸な訳であって、……けれど市丸が悪いという訳でもない。

「恋人と一緒にいたいと思うのは当たり前のことですよね」

はぁ、と溜息を吐いたイヅルは、やはり自分が悪いのだろうと自省した。

市丸は隣でイヅルが作った弁当を幸せそうにパクつきながら、「イヅルは溜息ばっかしやな」と、それでも不機嫌という訳ではないようだ。

市丸はイヅルの料理をとても気に入っているらしく、結局あれからイヅルの家に居着いている。

部屋の鍵は勝手にスペアを作られていて、市丸の荷物も日に日に増えていっている状態。

そう言うことに関してはイヅルは別に不満は持っていないのだ。

それも学校や友人などにバレなければ、と言う限定はあったが。

「お弁当、味付け大丈夫でしたか?」

上手い話題の一つも見付けられず、イヅルはいつもの台詞を口にした。

「ん。美味い」

「そうですか。良かった」

市丸の答えはいつも同じだが、それを聞くと何となく、イヅルは自分の存在が多少なり市丸にとって有効であるような気がして安心する。

おかしな話しだが、イヅルは市丸の世話を焼くのは好きだった。

自堕落な、と言いつつもそうであってくれることに安心する。

市丸曰くキーキー言いながら、むしろそう言って市丸の身の回りのことを出来ることは、イヅルにとって自分を満足させる手段のようなもの。

自分はちゃんとやっている、自分は上手く出来ている、家事も何もかもちゃんと出来ている、と思えることがイヅルを支え、イヅルに幸福をもたらしていた。

しかしそれではまるでイヅルの幸せの為に市丸を利用しているようだ。

その上自分の幸せの為に市丸を蔑んでいるよう。

自堕落だ、と言いたいのだ。

気付けば自分の黒い性格が浮き彫りにされるようで、イヅルは居たたまれない気持ちになる。

市丸は特別そうと言う訳ではない。

むしろ公衆の面前でイチャついていることを良しとするような、クラスの中にもいるカップル達のようであれば、市丸の態度は相手の要求を満たすもの。

恋人思いの優しい男と評価を受けるところだろう。

それがイヅル相手な為にまるでTPOを弁えていない自堕落男、なんて評価にすり替わってしまっているのだから、これは可哀想と言うものだ。

安易に付き合うのを了承し過ぎたかとイヅルはずっと思い悩んでいた。

自分はどうでも、市丸にとって、それは不幸だったのではないかと。

イヅルは食後のココアで一服している市丸を見つめて、何が彼にとって一番幸せなのかを考えていた。

自分と別れてしまった方が、彼にはもっと別に彼に合った恋人を見付ける機会を持てるのではないか、と。

どうせ持って帰って洗うのだから、今洗っても一緒、とイヅルは市丸と自分の弁当箱を持って、こっそり部屋に置かせて貰っている洗剤とスポンジを持って手洗い場に行った。

こういう所帯じみたところは隠すべきなのか、公にしても良いものなのか、イヅル自身判断は付かないがどちらでも良い類と言える。

人望厚い、文武両道の優等生の生徒会長が学校で弁当箱洗い……下級生にはNGかな、と思っていた時、突然背後から声を掛けられた。

「なんだぁ?市丸の弁当箱まで洗わされてんのかよ」

「え?」

振り向けば恋次で、イヅルの手元を覗き込んで顔を顰めている。

「あ、いや、これは、僕のを洗うついでにって、僕から申し出たことだから」

イヅルは咄嗟にそう言うと、苦笑いを作って恋次に言った。

「どうしたの?こんな所まで来て」

この特別棟の、特に一階部である教科準備室の並びは人通りが殆ど無い。

各教科事に準備室、と言う名の物置があるが、ここに籠もる教師は市丸くらいのものだ。

もちろん生徒の出入りだって少ない。

恋次は「お前探しに来たんだよ」と事も無げに言った。

「え?何かあったの?」

思わず生徒会長の顔になったイヅルは恋次を見上げて首を傾げる。

「ここ最近毎日呼び出されてっから、虐めにでも遭ってんじゃねぇかって思ってよ」

「ぇえ!?」

イヅルは大袈裟に驚いてしまい、慌てて「あ。ごめん」と取り繕った。

恋次が拗ねたような顔になったからだ。

「ごめん、心配掛けさせてたんだね。大丈夫だよ。市丸先生とは、ほら、急な担任交代だったから、引継って言うか、色々話を訊かれていただけで」

苦しい言い訳だな、と思いながらもこれしか言いようがない。

恋次はそれでも「ふーん」と納得してくれたような、そうでもないような顔になったが、「それよりよぉ」と話題を変えた。

「今度の日曜、ダ・ヴィンチ・コード観に行かねぇか。お前観たいって言ってただろ?山崎がバイト先で割引券沢山貰ったっつって二枚くれたんだよ」

「わぁ、凄い。ラッキーだね」

イヅルは笑顔の裏で焦る。

その映画は観に行きたかったのだが、恋次と出掛けるのはもしかしなくても市丸の不興を買うだろう。

下手したら浮気騒ぎにされてしまいそうな気がして、イヅルは上手い断り文句がないかと必死で模索する。

すると背後から市丸の声がかかった。

「へー、ええなぁ。映画?割引券やなんてラッキーやん。行っておいでや吉良君」

「え?」

イヅルは思わず耳を疑う。

振り返ってみた顔は穏やかに微笑んで、教師の顔をしていた。

「あ、市丸せんせも観に行くんスか?もしかしたらまだ割引券貰えるかも知れませんよ」

恋次は先程虐めがどうのと言った口で、そんな事を言う。

「や。ボクはええよ。映画や趣味合わんから。高校生二人で行っておいで」

偶々道の途中で話しが聞こえたから首を突っ込んだんです風に、市丸は言いたい事だけ言うと、後ろ手に手を振って歩いていってしまった。

残されたイヅルは市丸の真意を測れずに途方に暮れる。

暗に何と……伝えたかったのだろう。

少なくともイヅルが市丸の為に断ろうとしていたことは分かっているはずだろうから、それを敢えてそう言ったと言うことは、やはり言われたそのままなのだろうか。

気持ちは別にして、大人っぽいところを見せようとしてくれた……のかな?

「んじゃ、日曜10時にアルダ前な」

恋次はそう言うと用事は済ませたと背を向けて歩いていってしまった。

イヅルは結局返事をしていないまま、一人洗い場に残される。

手元には市丸と自分の弁当箱が残って、洗剤とスポンジが返却出来ないことに気付いて眉を顰めたが、念のためと戻ってみた古典教科準備室は鍵が開いたままだった。









*************









学校で話しをする訳にも行かず、イヅルはバイト後、急いで家に帰った。

いつもはバイト後にスーパーに寄るのだが、今日に限って夕方、出勤前に買い物は済ませて置いた。

市丸と話しをしなければならないだろうと、慌てて家に帰ったイヅルは、しかしいつも通りテレビを観ながらスルメを食っていた市丸に拍子抜けする。

「ただいま帰りました」

「ん。お帰りー」

画面を見たまま振り向きもしないのもいつも通り。

イヅルは思わず市丸の背中を暫く見つめてしまったが、夕食がまだなのでキッチンに向かう。

手早く揚げと菜っぱの煮浸しを作り、味噌汁に漬け物、冷や奴を机に並べると、そこでやっと市丸はこちらを向いた。

「今日は早かったンやね」

「はい。買い物を……先に済ませておいたので」

そこで何か言われるかなと様子を窺ったが、市丸に変わった反応はない。

「お腹減ったわぁ」

そう言って煮浸しが出来るのを待たずに戴きますと箸を付けだし、イヅルは慌ててご飯をよそう。

嫉妬されるだなんて、自惚れてたかな。

イヅルは気を取り直して笑顔で茶碗を渡しながら、「日曜、やっぱり映画行ってきますね」と告げた。

市丸の手は茶碗を受け取りながら、けれどそれは空中で止まる。

はぁ、と市丸が溜息を吐いた。

イヅルは予想外の反応に驚いて、それまじまじと見つめたまま固まる。

「イヅルは鈍いね」

「え?」

予想していたどれも違う言葉に、イヅルは首を傾げた。

「あの子、阿散井君やったっけ?イヅルに気があるんやで。分かってる?」

「えぇえ!?」

イヅルは思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。

「そんな訳ありませんよ。阿散井君は好きな女の子いるんですから」

恋は盲目にも程があるとイヅルは苦笑する。

しかし市丸はちらっと冷ややかな目線を送り、「カモフラージュやろ」と否定した。

「そんな……大体そんな素振り全然ないし。それに、男同士ですよ?そうそう僕に気のある男が市丸さん以外にいるわけないですよ」

「ほいほいおるやろ。イヅルが気ぃ付いてへんだけや」

「そんな……」

イヅルは呆れて二の句が継げない。

いくら惚れた欲目でも、世間に早々ホ●なんている訳がない。

市丸は再び大きな溜息を吐いた。

「自覚がない言うンも案外罪なことなんやで」

箸と茶碗を置いた市丸はイヅルを真っ直ぐに見据える。

笑いを含まない真剣な表情に、イヅルは眉を下げて困惑した。

市丸の言っていることが本当だとはとても思えない。

しかしそれをどうやってこの色ボケした耳に言い聞かせるかも思い付かない。

市丸が目を伏せる。

キツイ視線から解放されて、イヅルは小さく息を吐いた。

その手を引かれる。

「ちょっ……っ!?」

机を引っ掛けそうになって、それを避けたイヅルはバランスを崩して市丸の上に倒れた。

市丸は足で机をキッチンの方へと押し出すと、両手足でイヅルを床に縫い止め押し倒す。

「い、市丸さんっ……あの、せめてシャワーを」

浴びてからしたい、と言おうとした口は熱い唇で塞がれた。

「ん……っ」

舌を差し込まれて舐めねぶられる。

それを受け止めながら、イヅルはその性急な行為に眉を寄せた。

どうしていつもこうなのだろう……。

神経質で潔癖性気味のイヅルはこういう段取りのないHは苦手で、出来れば遠慮したい。

しかし市丸は大概時も場所も選ばず、気持ちが昂ったその時にその場でこういう事になってしまうので、まともな段取りを踏まえて貰った覚えがなかった。

「ん……や、ちょ……市丸さん、せめて布団敷いて……ぅん」

唇の離れた隙に訴えたイヅルの言葉は無視された。

そのまま指が捲り上げたシャツの下、腹の上を這い上がる。

もうこうなっては何を言っても意味がない。

イヅルは覚悟を決めて市丸の背に手を回した。






next // back // menu